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Latest posts

Last updated over 2 years ago

ChatGPT先生

over 3 years ago

ChatGPTで遊んでいて、甲状腺がんの余剰発見について質問し、論文を教えてもらったら、 DOIがでたらめ そもそもそんな論文は存在しない という感じになりました。前から指摘されている所ですね。怖い怖い。何が怖いって 自分が興味を持っている分野で 興味を持っている方法が使われていて いくら調べても見つけられなかった 内容のものを紹介してきたのです。おかしいからリンクを張ってくれって言ったら、Page Not Foundですからね。でも、おっちょこちょいで、ころっと行く人もいるかも知れませんねえ。 道具は使い道しだいって事です。それに気をつければ、とてもよく出来たおもちゃです。生成系AIは用法・用量を守って使いましょう。 ※私は、こういう文脈でおもちゃをネガティブな意味で使いません

見つける事と振り分ける事の意義

over 3 years ago

超音波エコーの解像度が高くなった恩恵として,転移や浸潤,増大の状況が精確に把握できるようになったので,手術適用の判断も的確になった。過剰診断の観点からいえば,過剰診断抑制に通じるわけですね。コメントしてくるみなさん,そのあたりご存知でしょうかね。pic.twitter.com/jLbtdvoqsb— 林 衛 (@SciCom_hayashi) 2023年3月30日 超音波エコーの解像度が高くなった恩恵として,転移や浸潤,増大の状況が精確に把握できるようになったので,手術適用の判断も的確になった。 今は検診の話の文脈です。これが正当化されるのは、 前臨床期(症状の無い期間)に見つける事によって、臨床期(症状のある期間)に見つけるより予後が良くなる のが明らかな場合です。予後が良くなるというのは、寿命が延びたり、総合的なQOLが高くなったり(下げかたを抑える)、という意味です。 前臨床期に見つけるものに、 処置すれば効果が得られる 処理しても効果が得られない...

ブクマコメント訂正置き場

over 3 years ago

私たちが知らない福島県の甲状腺検査と検査される人たちのこと|カトウ・フミヒロ|noteエコーと細胞診をごっちゃにして変なことを書いたので訂正します。元コメントは⇒&lt;a href="https://interdisciplinary.hateblo.jp/entry/2023/03/23/232823" target="_blank" rel="noopener nofollow"&gt;https://interdisciplinary.hateblo.jp/entry/2023/03/23/232823&lt;/a&gt; 大変失礼しました。2023/03/23 23:29b.hatena.ne.jp 上記ブックマークコメントの、訂正前のコメントです。 “偽陽性(超音波検査でがんの可能性があるとされたものの、精密検査の結果、がんではなかったもの)が高頻度で発生します。” エコーはそんなに特異度が低いのですか? 手術の結果が良性腫瘍は何件ありましたか? エコーは、と書きつつ細胞診の話をしています。とても良くないですね。大変失礼しました。...

《リスク》の見かた

over 3 years ago

仮に利益があったとしても、もともと甲状腺がん死亡率は小さいので、検診から得られる利益も小さいです。一方、過剰診断の害は、たとえ積極的監視を選んだとしてもそれなりにあります。なので甲状腺がん検診はできるだけやらないほうがいい、というのが専門家の間のコンセンサスになっています。— 名取宏(なとろむ) (@NATROM) 2023年3月11日 ↑これは、名取宏さんが、福島での甲状腺がん検診について疑問を呈しているかたに対し説明をなさっている所です。 説明されたかたがどのように理解したか、という具体的の話はここでは措いて、検診や疫学・公衆衛生学の議論に明るく無い人は、おそらくここに引っかかるであろう所に着目します。 、もともと甲状腺がん死亡率は小さいので、検診から得られる利益も小さいです。 ↑この部分です。 死亡率が小さいとは、人口における、その疾患によって死亡する人の率を指します。指標としては割合の場合もありますので、以降は割合で話します。分母は、その疾患に罹っていない人も含む人口です。名取さんがおっしゃっているのは、そもそも人口を分母にした場合の甲状腺によって死亡する人の割合は小さいので、もし検診が効果をもたらしたとしても、人口において甲状腺がんで亡くなる人を減らせる程度は、どうしても大きくならないという意味合いの事です。 名取さんの説明は正しく、疫学や公衆衛生学的に妥当なものです。ところが、おそらくそのあたりに明るく無い人は、次のように考える場合があります。 たとえ少ないとしても、それによって救われるのであれば意義がある といったように。...

がん検診の《利益の説明》

over 3 years ago

がん検診の利益の説明について。 ganjoho.jp がん検診による最大の利益は、早期発見によりがん死亡率が減少することです。 ↑こういう風に言われる事が、結構ありますよね。しかし、このような説明のしかたについては、よく考えておく必要があります。 特定のがんの検診を実施した結果、死亡率が下がるとします。その場合は、当該の検診の利益として、死亡率が下がる事を主張出来ます。 しかるにこれは、 がん検診には死亡率を下げるものがある のを示すものであって、 がん検診は死亡率を下げる と一律に言えるのではありません。もし、あらゆるがん検診を実施すればことごとく死亡率を下げるという事が判っていたり、理論的に確実にそう言って問題無いのであれば、このような表現が出来ますが、実際はそうではありません。たとえば、小児に対する神経芽細胞腫マススクリーニングや、成人に対する甲状腺がん検診など、死亡率を下げないであろう検???があるのが、既に知られているからです。そもそも、がんの種類は膨大ですから、それぞれについて調べ尽くす事など実際的には不可能です。 がん検診について、より丁寧に、慎重に説明するのであれば、 がん検診に期待される主要な目的は、早期発見によりがん死亡率を減少させる事です。...

『通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査』発表の検討

over 3 years ago

www.mext.go.jp 【PDF】通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果について (令和4年12月13日) (PDF:836KB)] PDFの内容を検討します。簡潔に行きます。 調査目的は、10年前に同様の調査がおこなわれたが、当時とは様々の情況が異なっていると考えられるため、改めて調査を実施し現状を把握するもの。 調査法の記述は割としっかりしている。目標母集団(標的集団)は全国の公立の小学校・中学校・高等学校の通常の学級に在籍する児童生徒で、層化3段抽出、回収割合は8割以上と高い。学級担任に記入してもらうという仕組みが、回収割合を高めていると思われる。 回答者は、上述の通り学級担任。特別支援コーディネーターまたは教頭副教頭が確認し、校長が諒解すれば回答。担任が児童について答えるのだから当然、バイアスがかかり得る。と言って、バイアスがかかるからこういう調査には意味が無い、とはならない。標準化されたテストを児童におこなわせるなどすると、コストが甚大になり、割合を推定する目的には大掛かりすぎる、という場合もあるから。要するに目的次第。 質問内容は、ADHDや高機能自閉症に関するテストを参考にして作成。この種のテストは本来、トータルとして妥当性や信頼性が評価され標準化されて、実施にあたってテストを受ける情況を厳密に設定しておこなうべきものであるから、それをアレンジした時点で測られるものが違ってくる事に注意。だから調査主体は、 本調査における「Ⅰ.児童生徒の困難の状況」については、学級担任等による回答に基づくもので、特別支援教育コーディネーター、又は教頭(副校長)による調査票の記入内容の確認を経て、校長の了解の下、提出された回答に基づくもので、発達障害の専門家チームによる判断や、医師による診断によるものではない。 ↑留意事項としてこのように補足している。内容が違うので縦断的比較も出来ないとも書いてあり、けっこう注意深いと言える。 調査結果が標本割合であり、それに基づいて母集団割合を推定している事も明記している。ただし信頼区間の説明(95%の確率で悉皆調査の場合の集計結果を含む範囲。)は間違っている。読む側が信頼区間を知っているのは稀だろうから、もう少し詳しく説明したほうが望ましいが、かといって簡単に書けるような概念では無い。...

過剰診断の説明

over 3 years ago

いくつかのパターン 用語のみ書く がん検診では、過剰診断という害が起こる可能性があります。 意味内容のみ書く がん検診では、症状を起こしたり、それによって死ぬ事の無いものまで見つけてしまう可能性があります。 意味内容と用語を両方書く がん検診では、症状を起こしたり、それによって死ぬ事の無いものまで見つけてしまう可能性があります。これを過剰診断と言います。 書きたく無い 過剰診断の議論をよく知っている人は、いかにややこしい用語であるかを認識しています。誤陽性や誤診と混同される事であったり、正確な意味の共有そっちのけで、その語を使って罵り合っているのを見たり、などです。 その前提があれば、過剰診断なる語そのものを避ける方針にしたい事もあるでしょう。よく解ります。あるいは、そういう現象が起きていないという信念があって、その現象が起きていると思わせたくないから使いたく無い、のような場合もありましょう。後者には解りやすい下心があります。 説明しない事と、文字列を表記しない事は違う 動機は様々でも、過剰診断なる語を書きたくない、という志向は解ります。色のついた言葉ですからね。...

言葉について

over 3 years ago

dot.asahi.com 若い頃、自分と他人とで、使っている言葉の意味合いにズレが生ずる事に悩まされていました。また、自分の考えている事を文章にしたり喋ったりする時に、頭の中にあるそれをちゃんと表現出来ない、というのがすごく嫌でした。表現出来ないからしない、そういう時期もありました。言葉にとらわれていたのでしょうね。 色々な本を読みました。時間があったし、ある具体的な事についてもっと知りたいと思っていた時期でした。そこで影響を受けた人が言及していた論者の本にも、たくさん目を通しました。 その流れで出会ったのが、ソシュール関連の議論や思想でした。目から鱗というやつですね。かぶれた、と言って良いでしょう。言語、一般的には記号の恣意性なる概念を知って、痺れましたね。世界の、概念の切り取りかた、そして、それをのせる記号表現のありかたは、極めて柔軟であって、ガチガチに固まったものでは無いと認識しました。悟った、のかも知れません。 その考えは、自分が言葉を使う事、つまり話したり文章を書いたりするにあ???り、今も影響を与え続けています。本当は、上で書いた、ソシュールを援用した別の論者に受けた影響が甚大なのですが、まあそれは措いておきます。源流はソシュールなのでしょうから。当時は、現代思想とかポストモダンとか、そういう流行もあったりして、ソシュールやら構造主義やらに影響を受けた人は、けっこう多かったかも知れません。 それはともかく、記号論的な議論における最重要の概念である、記号の恣意性というものを知ったのは、とにかく衝撃でしたね。それまで言葉というものにとらわれていたのが、解放されたような気分になりました。 念のために言っておくと、これは、私が記号論・記号学、あるいは言語学の専門的な勉強をしてそれに通じるようになった、という話ではありません。そこで使われる重要概念を知る事によって、世界(現象なり存在なり観念なり)の認識のしかたが変わった、そういう経緯の話でしかありません。ちなみに、わざわざこんな事を書く理由の1つは、このブログが言語方面のプロに読まれる可能性があるからです。 記号の恣意性あるいは無契性を考えるようになると、自分が使う言葉と他者が使う言葉とでは、そこに付与される意味内容にズレが生じ得る事を、強く意識するようになります。そこから、自分がこういう意味で使った言葉でも相手には違う意味で受け取られる事がある、のをよく考えるようになります。 これは、いわゆるいじめなる現象を考える際にも役立ちます。あれです、今で言うイジりといじめの関係、みたいな感じです。言語を一般化すると、行為をも含んだ記号と言えますが、何らかの言葉を投げかける、あるいは身体的表現をおこなう、という記号について、発する側が軽く思っていたとしても、受け取る側は深く傷つく場合がある、というような事を考える訳です。これは要するに、同じ記号が、発信者と受信者により、異なる意味で捉えられる可能性があるのを示唆します。先に挙げた、私が強く影響を受けた論者は、だいぶ前にこの話を、いじめとフザケの瓦重構造、と表現しました。つまり、ある行為なりが、いじめ、かつフザケ、の両方の意味を同時に持ち得る、という構造があるのを示したのです。これは、私が今もずっと、念頭に置き続けている概念です。 いっぽうにとっては軽口で???、別の人にとってはものすごく刺さる言葉となる、みたいなのは、日常的にも取り沙汰される場合があります。バカやアホ、といった語の受け取られかたが地域によって違う、なんてのもその一種です。ある語なりの記号にどのような意味を結びつけ、どういう記号を受け取って傷つくかのかは、生まれついての特徴や、成長する際の環境要因によって形成されていくのでしょう。人文科学方面で言えば、状況やコンテクストというのもあります。結果として形成された記号の体系は、記号論的にはコードと言うでしょうか。恣意性なり瓦重構造なりは、そういう事の根本的な構造を捉えて一般的な重要概念としたものと言えます。 現象なり概念なりを切り取り、それを記号表現に結びつけて発信し、違うコードを持つ相手と上手くやりとりするのは難しい事です。そもそも困難なものなのだと考えつつコミュニケーションにあたる必要があります。アプローチとしては、コードの異なる人同士のやり取りだから、常に確認や修正を怠らずに、なるべく表現と意味との結びつけや現象や概念の切り取りかたを近づけるようにする事と、その切り取りかたと表現との結びつけを厳密におこなっているコードについて把握する、というものです。 後者のアプローチは、哲学や数学、実証科学等のアプローチです。記号の恣意性うんぬんについて知るのは大切ですが、ただそれだけだと、言葉なんて、記号なんてそんなもの、となって止まります。人によっては、所詮そんなものだから、全部曖昧だ、みたいに考えるかも知れません。いわゆる相対主義的な方向に行くかも知れません。そこで、そういう方面とは異なる、概念の切り取り、整理、そしてそれに対する記号表現の結びつけを厳密におこなおうとするアプローチを押さえておくのが、とても肝腎なのですね。...

IIf関数とIF関数

almost 4 years ago