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吉野家の「ラーメン進出」がSNSで話題に…5年で業態売上高400億円を目指すメガチェーンの「勝算」

about 8 hours ago

「はなまるうどん」「千吉」の麺類ノウハウ吉野家が、ラーメン?――新たな展開に驚いた人は多いのではないだろうか。創業から120年以上を誇る吉野家は、素早く、安く、美味しい牛丼を提供することで、全国に多くのファンを持ち続けてきた。オレンジの看板がアイコニックな吉野家は、そのイメージを大きく塗り替え、「ラーメン事業」を本格させようとしている。先般、吉野家HDは今後5年間でラーメン業態500店舗展開、売上高400億円を目指す方針を明らかにした。ゴールは「2034年度にラーメン提供食数No.1」。セグメント別売上高比率も、2024年度の吉野家67%対ラーメン4%に対し、吉野家61%対ラーメン13%と、3倍以上に拡大する方針だ。そのプランには国内だけでなく、東南アジアや北米といった海外市場も視野に入っている。ラーメンを次なるグローバルブランドとして育て上げようとしているわけだ。すでに国内では地場固めが進んでいる。吉野家HDは2016年に東京の「せたが屋」、2022年に関西エリアで人気を博すラーメンチェーン「キラメキノトリ」を買収した。Photo by gettyimagesまた、2024年には飲食店向けに麺やタレを製造する宝産業も買収。原材料の調達・製造・供給体制までを自社内で完結させることにより、品質管理とコストコントロールの両面で優位に立つための布石である。麺類に目を広げれば、吉野家HDは2012年に「はなまるうどん」を完全子会社化しており、カレーうどん専門店「千吉」ブランドも有している。同社は牛丼、うどんに続く第三の柱としてラーメンを据えようとしているわけだが、国際的な流行りに飛びついたわけではなく、着実にノウハウを蓄積した結果とも言えるだろう。では海外ではどうか。そもそも吉野家は、すでに海外展開において確かな実績を持っている。アメリカ、中国、台湾、タイ、シンガポール、インドネシアなど、アジアを中心に992店舗を展開しており(25年4月)、その数は国内店舗数の1259を上???ろうとしている(同前)。特に中国や東南アジアでは都市部を中心にブランド認知が高く、現地パートナーとの協業によって店舗数を順調に伸ばしてきた。しかし、牛丼という業態には、いくつかのグローバル展開における制約が存在する。たとえば、日本人にとっては馴染み深い「あの牛丼」の味付けとスタイルが、海外では評価が分かれる。熱烈な牛肉ファンが多い海外だからこそ、自国で親しまれている「牛肉料理」とかけ離れていると、受けが悪くなってしまう傾向にあるようだ。ラーメンなら高価格帯でも戦える特にアジア諸国では、味付けが濃く、スパイスの効いた料理が好まれる傾向にあり、吉野家も現地では「照り焼き風味」や「焼肉味」といった、日本要素をローカライズしたメニューを開発してきた。一方、ラーメンはその国際的な認知度と柔軟性において、牛丼とは一線を画す。豚骨、醤油、味噌、塩といった多彩なスープのバリエーション、トッピングの自由度、さらにはベジタリアンやハラル対応といったニーズにも応えやすい。吉野家HDの2025〜2029年度グループ中期経営計画にも、宝産業の買収により海外ハラルスープの対応化が明記されている。Photo by gettyimages実際、欧米ではラーメンが「クール・ジャパン」の象徴として若者を中心に高い人気を博しており、一杯2000〜3000円という価格設定でも十分に支持を得ている。前掲の「せたが屋」は海外の一等地に展開しており、筆者は2017年に米ブルックリンの「せたが屋」前をたまたま通りかかったが、店内は満員近く活気があり驚いたことを記憶している。国内では「1000円の壁」と言われるように値上げしづらいラーメンも、海外ではそのハードルが低く、利益率を確保することが可能だ。かようにグローバルではラーメンが“ドル箱”として注目されるようになって久しい。「牛丼一本足打法」からの脱却さらに、吉野家がラーメン業態に注力する背景には、外食業界全体を取り巻く構造的な変化もある。近年、世界的な原材料価格の高騰により、牛肉や米といった主要食材の調達コストが上昇している。牛丼はその両方に強く依存しており、外部環境の影響を最も受けやすい商品といえる。特に牛肉は、BSE問題、輸入制限、関税、為替レートの変動など、経済・政治リスクが複雑に絡み合うセンシティブな食材である。吉野家は過去にもBSEによる牛丼販売中止を経験しており、一辺倒のビジネスモデルに潜む脆弱性はどの業態よりも知っているはずだ。Photo by gettyimagesそのため、現在の吉野家は「一本足打法」からの脱却を図り、リスク分散型の事業構造への転換を進めている。同様の戦略は、業界内でも見られる傾向である。たとえば、松屋フーズは「松のや(とんかつ)」「ステーキ屋松(肉料理)」「マイカリー食堂(カレー)」など、複数の業態ブランドを展開することで、消費者のニーズの多様化に対応しながら、リスクの分散を実現している。「すき家」を運営するゼンショーも、ファミレス業態や回転寿司チェーンなどを傘下に持ち、グループ全体で柔軟な経営体制を築いている。「GYUDON」ではなく、「RAMEN」で吉野家が今まさに推し進めているラーメン事業の展開は、このような流れの中でも極めて戦略的なものである。既存の牛丼業態で培った店舗運営ノウハウ、ブランド資産、海外ネットワークを活かすことで、早期にラーメンを新たな主力事業へ育て上げる可能性は十分にある。現状、日本のラーメンチェーンで最も海外に広く展開しているのが「味千拉麺」ブランドだ。中国を中心に海外645店舗(24年8月時点)に展開し、香港市場に上場するAjisen (China) Holdings Ltdの売上高は、24年12月期で約314億円(17億2000万香港ドル)となっている。同チェーンは中国経済の成長と商業施設の増加にともなって急拡大を遂げたが、経済成長に頭打ち感が出ると売上高にも影響が出ている。Photo by gettyimages吉野家がラーメンの「競合」に据えているチェーンがどこかはわからないが、「No.1」を獲りにいくのは本気のようだ。「吉野家=牛丼」という認識が、いずれ「吉野家=日本食総合ブランド」へと進化する日も遠くないかもしれない。「GYUDON」では支配しきれなかった海外の市場に、「RAMEN」でアプローチする——これは単なる事業多角化ではなく、吉野家という老舗企業が、グローバルで生き残るために選んだ戦略的再定義である。その動きは、日本の外食チェーンが世界で戦うための、新たな羅針盤となるだろう。

年収900万円、就職氷河世代の「勝ち組」20年後にまさかの適応障害に…「転職」か「ステイ」か判断で「考えるべきこと」

about 14 hours ago

かつて「勝ち組」と呼ばれた人々が、いま静かに追い詰められている。就職氷河期の只中だった2000年代初頭、偏差値の高い国立大学を卒業し、大手企業に正社員として就職できたことは、確かに「成功」だった。がむしゃらに働き、昇進し、家族を持ち、安定した生活を築く──そんな“正解”を積み上げてきたはず人生が、社会の変化によって大きく揺らいでいる。終身雇用は実質的に崩壊し、企業は年功よりも実力を重視するように変貌した。役職定年制度すら廃止され、かえって中間管理職は出口を見失っている。今回、安藤さんの元に相談に訪れた男性もそんな一人だ。年収900万円、元モデルの妻と娘の三人家族。某有名メーカーで部長職に就く圭太さん47歳。「役職定年」が廃止され、どんどん実力主義になり、才能のある若手が転職してきていて、あせりを感じているという。自分が自分として会社に貢献できなくなるのが不安の中心という圭太さん「鬱ですか?」「会社を辞めた方がいいですか」という相談に安藤さんはこう答えた。本記事の前編はこちら:年収900万円、でも不安…就職氷河世代に大企業に就職、「勝ち組」エリート部長が20年後に味わった「意外な大誤算」安藤さんの答え鬱かもしれないです。でもそれは、病院でみてもらわないとわからないですよね。それを前提としてお伝えしておきたいのは、仕事であれなんであれ、辞める理由って、いつでも見つかるものということです。写真:iStockでも、辞めたらどうするかのプランは? ご家族の生活費はどうしていくのでしょうか。大変なのはよくわかるのですが、まずは心療内科などで相談をしながら、すぐに会社を辞めるのではなくて、一旦冷静になって、自分の考えをまとめてみましょう。私の体験を少しお話しします。私は圭太さんのような大企業ではありませんでしたが、やっぱり最初???就活し、会社員になりました。でも2年で辞めてしまいました。ふりかえれば、当時は本当にちいさな会社でしたが、今ではそこそこ有名な企業になっています。あのまま、会社に残っていたらどうなっていたのかなあと、たまに楽しくふりかえります。後悔しているわけではありません。私の場合は、やりたいことがはっきりしての退職でした。だから、その後は大変なことも多かったけれど、これが私の生きる道だったのだと思えます。逆に、やりたくないのにその会社にずっと勤めていたら、今頃、大きな後悔をしていたことと思います。人生は選択の繰り返しですよね。なので、ひとつひとつ「これは、どうしようかな?」と、自分が向かいたい未来と結び付けてみて、より快適そうな道を選んでいくのがいいかなと思うんです。誰でも、どんな仕事をしていても、悩みはつきないものです。当然大企業ならではの辛さもあります。どんなに優秀であっても、さらに優秀な人たちが入社してきたり、転職をしてくる。自分の立場が危うくなる毎日。なかなか精神的にキツイですよね。加えて日本の大企業の場合は、いまだ協調性を多く求められがちです。自分の力を発揮できずに苦しむこともあるかと思います。それでも考えた結果、お勤めの会社に属するメリットを「享受していこう」という選択もありますよね。一方で、大企業勤務で50歳未満なら、今こそ転職のしどきという見方もできます。やはり50歳をこえると、希望の転職は難しくなる。今なら、現状かそれ以上の年収で、好きな環境で働くことも可能かもしれません。自分を受け入れてくれそうな企業にあたりをつけてから退職するという方法もありますよね。もちろん、年収900万円だけが人生のすべてじゃありません。たとえば年収400万円の転職をしたとしても、自分が心から望む仕事と環境を手に入れられて、遠い田舎町で生活費がかからない暮らしをすれば、別のしあわせがあるかもしれません。あるいは、今までとはまったく違う分野で独立するという道もゼロではありませんよね。まずは副業でやってみて、見込みがありそうなら退職するのもおすすめです。でも、これらはすべて、圭太さんが心から「こういう転職をしたい」と思えたときでないと、うまくいかないと思います。ネガティブな気持ちで辞めてしまうのだけは避けましょう。配偶者には相談していますか? まだなら早めに相談して悩みを共有し、解消していきましょう。お子さんの学費など、いろんな問題がありますからね。突然退職されたら、奥さんもびっくりしてしまいます。判断は慎重に最初にもお伝えしましたが、心身のケアをする必要があると思いますので、心療内科などには必ず行って、心の状態を診てもらってください。もしも何らかの診断された場合は、治療をしながら今後のことを考えていきましょう。会社を長期で休みたいのならば、診断書ももらいましょう。鬱や適応障害であれば、健康保険組合の傷病手当が支給されます。長期で会社を休む際にも、給料の3分の2の金額が1年6ヵ月を限度として支給してもらえますので、どうしても心身が辛いようなら、長期休暇をしてから退職することを視野に入れるのもいいかもしれません。ただし、なかには傷病休暇をネガティブにとらえる転職先もあります???で、すべてオープンにするか、しないかについては、慎重に判断されることをおすすめします。退職を決めた場合は、有給休暇の消化や失業保険などの制度はしっかり調べておき、もらえるものは全部もらって次へと進みましょう。やっぱり、プランって大事です。人生、悩みはつきないけど、生活するにはある程度のお金が必要ですから。今の会社に残るか転職をするか。決めた先でどうするか。どちらにしても、一度きりの人生です。圭太さんのやりたいこととお金を天秤にかけて、心身を守りつつ、うまくこの世を渡っていきましょう。そして、一番選びたい道が見つかったら、素直に歩いていきましょう。…つづく、<こんなはずじゃなかった…「ふわふわした夢」を追いかけて、カフェバイトを転々、専門スキルもない35歳「ノマド男子」の末路>ほか、安藤房子氏さんの連載は<過去記事の一覧>からどうぞ。

年収900万円、でも不安…就職氷河世代に大企業に就職、「勝ち組」エリート部長が20年後に味わった「意外な大誤算」

about 14 hours ago

かつて「勝ち組」と呼ばれた人々が、いま静かに追い詰められている。就職氷河期の只中だった2000年代初頭、偏差値の高い国立大学を卒業し、大手企業に正社員として就職できたことは、確かに「成功」だった。がむしゃらに働き、昇進し、家族を持ち、安定した生活を築く──そんな“正解”を積み上げてきたはず人生が、社会の変化によって大きく揺らいでいる。終身雇用は実質的に崩壊し、企業は年功よりも実力を重視するように変貌した。役職定年制度すら廃止され、かえって中間管理職は出口を見失っている。今回、安藤さんの元に相談に訪れた男性もそんな一人だ。不安に駆られる、40代のエリート会社員【相談内容】某有名メーカー部長代理で年収約900万円の47歳男性です。昨年、会社の「役職定年」制度が廃止され、安心のようでいて実は不安。会社はどんどん実力主義になり、自分より若くて才能のあるやつが 転職してきていて、あせりを感じます。 まだまだ家族を養わなきゃいけないと気持ちだけがあせり、考えただけで頭がおかしくなってきて、身体や精神麺で不具合が出てきていて、心療内科で適応障害と診断。ああ、どうすればいいのか。(圭太/47歳・某有名メーカー部長代理)こんにちは。都内在住。某有名メーカーで部長代理をしています。現在47歳で年収約900万円ですから、自分で言うのもなんですが???お給料はそんなに少ないほうではないと思います。自分としても、高校時代には偏差値の高い国立大学を目指して受験勉強をし、合格し、以降、本当にがんばって働き、生きてきました。写真:iStock20代、30代の頃にはがむしゃらだったし元気だったけど、40歳をこえたころから、なにをしても不安で、未来が心配で、わけのわからない悲しみがうわーっと押し寄せてくるようになったんです。プライベートが楽しくないわけでもなかったんですよね。32歳の頃に、異業種パーティーで知り合った元モデルで2歳年下の女性と結婚。まもなく生まれた長女は、今では中学一年生。私立の一貫校に通っています。まだまだ学費がかかるけど、社会人になってからもそれなりに貯蓄をしてきているので、なんとかなるかなとは思っています。妻はイベント会社の社員で、年収は350万円程度です。ときどきモデルのような仕事をしながら、事務の仕事をしています。妻のことは今も愛しているのですがセックスレスです。なぜかお互いにそういう関係を避けるようになってしまいました。妻の実家は両親ともに高校教師です。私の両親は北陸地方で民宿をやっていましたが、母は他界し、いまは父がひとりで暮らしています。もう70代ですから、こっちで一緒に住もうよといってもこない、そんなわけで親のことでも不安です。どうやら鬱っぽいみたいさらに昨年、会社の「役職定年」制度が廃止され、安心のようでいて実は不安もあります。どんどん実力主義になり、自分よりも才能のある若手が転職してきていて、あせりを感じます。もう若くない。しかし、それほど高齢でもない。「まだまだ働いて稼がなければ」という気持ちもあるし、でもそれは、なんとかなりそうな気もしていて、自分が自分として会社に貢献できなくなるのが不安の中心なんですよね。「自分って生きる価値があるのか」とよぎる毎日です。今のところは、まだまだ力を認めてもらえているけれども。たまに、体調不良のふりして有給休暇を取得するようになりました。仕事をがんばりたい、でも逃げ出したい。そして家族からも逃げ出したい気持ちにもなる。日曜の夜は眠れなかったり、月曜の朝には吐き気がして会社に行きたくなかったり。妻や娘との誕生日パーティーなのに行くのが面倒になったり。お正月だからと家族旅行に行くなんて、さらに面倒で。心が安定して仕事が楽しく感じるときもあります。同僚との会話が楽しいときもあります。どうやら鬱っぽいみたいです。会社を辞めるほうがいいですか?…つづく<年収900万円、就職氷河世代の「勝ち組」20年後にまさかの適応障害に…「転職」か「ステイ」か判断の「考えるべきこと」>では、こうした苦しい相談に安藤さんが答えます。

【難読漢字】「熱る」って読めますか? 実は2つの読み方があります....

about 15 hours ago

突然ですが、「熱る」という漢字、読めますか?「かお・体などが熱くなる」といった意味です。「ねつる」ではありません。問題 「熱る」の読み方は?実は「いきる」という読み方もありますが、もう一つの読み方は……?答えは…答えは、「ほてる」でした。「火照る」という表記の方が馴染みがあるかもしれません。答え 熱る:ほてる次回の漢字クイズもお楽しみに!

【難読漢字】「十柱戯」って読めますか? 「10本の柱」でやるスポーツ....?

about 15 hours ago

「あるスポーツ」です!突然ですが「十柱戯」って読めますか?難読漢字:十柱戯皆さんも一度はやったことのあるスポーツを漢字で表したものです。「10本の柱」でピンとくる方もいるかもしれません!果たして正解は?正解は?正解は「ボーリング」でした。読み方:ボーリングいかがでしたか?次回の漢字クイズもお楽しみに!

「主戦派」ゼレンスキー大統領をクビにするのが停戦の早道!

about 19 hours ago

前回の拙稿「これがウクライナ和平の実態だ! ゼレンスキーと西側諸国首脳は「小芝居」を止めよ」では、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が受け入れそうもない、無条件停戦を提案し、拒否すれば、追加制裁するという「北風」戦術の裏側を紹介した。プーチンの停戦拒否を前提に、米国のドナルド・トランプ大統領にも制裁強化やウクライナ支援継続で協力してもらうという筋書きだったことになる。だが、この小芝居は失敗した。トランプはプーチン大統領と電話会談した5月19日までは、この停戦を装いながら実際には戦争を継続しようとするグループ(以下、ゼレンスキーと西側諸国首脳を「小芝居グループ」と呼ぶ)に同調する可能性があった。しかし、会談後、トランプがこのグループから離脱したことが明らかになった。その意味で、停戦・和平をめぐる交渉は、これまでとは別の段階に移行したことになる。トランプ・プーチン電話会談少しだけ、これまでの経緯について説明したい。まず、5月10日に「小芝居グループ」は「30日無条件停戦」を提案したが、プーチンによって直接協議の逆提案を受けて、トランプは早急な協議を求めた。つまり、プーチンの肩をもった。16日に直接協議が行われると、今度は5月19日にトランプとプーチンによる2時間ほどの電話会談が実施された。プーチンの説明では、以下の通りだ(下の写真)「ロシアは、適切な合意に達した場合、一定期間の停戦の可能性を含め、和解の原則、可能な和平合意の条件など、多くの立場を定義した将来の可能な和平条約に関する覚書をウクライナ側に提案し、協力する用意があることでトランプと合意した」5月19日、トランプ大統領との電話会談の結果を記者団に話すプーチン大統領(出所)http://kremlin.ru/events/president/news/76953/photos/81530ピンボケな欧州の指導者たち以上からわかるのは、「無条件停戦から和平へ」という欧州側の目論見が失敗したことである。だが、それは「小芝居グループ」の望んでいたことでもある。停戦の見通しは立たないままだから、戦争継続という彼らの目的はかなったことになる。目論見通り、欧州委員会と英国は20日、似たような追加制裁をロシアに科すと発表した。同日、欧州委員会のフォン・デア・ライエン委員長はXにつぎのように投稿した。Photo by gettyimages<我々は次のステップについて緊密に調整している。欧州は第17弾の厳しい制裁パッケージを採択したばかりだ。さらなる強硬制裁を盛り込んだ18番目のパッケージが準備されている。停戦を実現するために、ロシアへの圧力を強化する時だ>彼らは、小出しにしてきた制裁の過ちを認めることなく、対ロ制裁を継続することで、結局、停戦・和平を遅らせてきた自分たちをまったく反省していない。むしろ、戦争を継続することで、自分たちの不明を隠そうとしているようにみえる。こんな「小芝居グループ」にとって意外だったのは、トランプが同グループの筋書きをまったく無視したことである。トランプは20日、前述したように、ロシアとウクライナとの直接協議に基づく覚書の進展を見極める必要性に言及し、2週間後とか4週間後に結論を出したいとしたのである。ルビオ国務長官の議会証言この舞台裏については、「ニューヨーク・タイムズ」紙の分析が教えてくれている。「この議論に詳しい6人の政府関係者によれば、トランプはロシアへの新たな制裁を含む欧州の圧力キャンペーンに参加するという、自らの脅しから手を引いたという」。この報道こそ、現実を物語っている。さらに、同紙は、大統領の私的な電話について話すため匿名を求めた高官の話として、「ロシアに対する追加制裁はビジネスチャンスを妨げるも???であり、大統領は米国人の経済的機会を最大化したいと考えているとのべた」という。この明確な方針転換は、20日に開催された上院外交委員会の公聴会でのマルコ・ルビオ国務長官の発言によって裏づけられている。国家安全保障担当補佐官を兼務している彼は、「脅しの制裁をはじめると、ロシアは口をきかなくなる」とのべたのだ(「ブルームバーグ」を参照)。それだけではない。ロシアのプーチン大統領が「戦争犯罪人」かどうかという質問に対して、ルビオは、「そこで起きた事件をみて、戦争犯罪とみなすことはできると思うが、われわれの意図は戦争を終わらせることだ」と答えた(下の写真)。このように、「小芝居グループ」とは一線を画して、米国政府は現実路線を歩みだしたと言えるだろう。5月20日、上院外交委員会で証言するルビオ国務長官兼国家安全保障担当大統領補佐官 Jose Luis Magana/AP (出所)https://www.npr.org/2025/05/20/nx-s1-5404679/marco-rubio-senate-foreign-affairsウクライナ兵士の脱走が続出ここで、常識的な議論をしたい。戦争に負けそうな側が無条件の停戦を提案すること自体、まったくおかしな話ではないか。無条件降伏か、せめて数多くの譲歩をするのが定石だろう。ましてや、応じなければ制裁を強化するというのは言語道断だろう。逆に、停戦してくれれば、制裁を即時全面解除するというのが筋だ。そうでなければ、勝利目前の側を納得させることはできないはずだろう。それができずに、「北風」戦術をつづければ、二発の核兵器使用の惨禍を被った日本のように、多数の民間人を含む死傷者が膨大な数にのぼることだろう。Photo by gettyimagesロシアは本サイトで何度も書いたように、2024年末から2025年にかけて着実に有利な戦況にある。逆に、ウクライナは敗色濃厚であり、戦争をつづけるほど死傷者が増える状況にある。最近では、ウクライナ東部でロシアが領有権を主張しているルハンスク(ルハーンシク)州の西、ハリコフ(ハリキウ)州の州都ハリキウにまでロシア製ドローンが到達するようになっている。これは、15~30キロメートルを飛行でき、電子戦システムで妨害できない光ファイバードローンの脅威が高まっていることを意味している。さらに、5月20日付のNYTは、「ここ数週間、ロシア軍はドンバス地方東部のウクライナの重要拠点であるポクロフスク市の東側の防衛線を突破している」と報じた。はっきり言えば、ウクライナは戦争をつづければつづけるほど、領土を確実に失っていくことになる。こんな調子だから、脱走も多い。4月4日付のウクライナ情報によると、2024年1月から12月にかけて、検察庁は刑法第407条(軍隊または勤務地からの無許可離脱)に基づき、6万7840件の刑事訴訟を登録した。この無許可離脱は、軍人が許可なく部隊や勤務地を離れることを意味する。徴兵については、無断離脱が3日以上続いた場合に責任が生じる。契約軍人の場合には、無断欠勤の日数が10日を超えると刑事責任が生じる。契約軍人の無断欠勤が2回目であれば???3日後に刑事責任も発生する。脱走は、軍人は戻る予定がなく、法的許可なく軍務を離れる意味している。前述と同じ期間に、脱走に対する刑事事件が2万3000件以上も登録された。これらの数字をどうみるかは難しい判断を迫られる。常識的に考えれば、無理やり動員されて兵士になった者が停戦間近と思えば、軍隊を抜け出して身を隠し、停戦を待とうとするのが当たり前ということになる。ゆえに、ウクライナ軍は脱走だけでなく、兵員集めにも苦労しているはずだ。しかし、その実情をオールドメディア(伝統的な新聞・テレビなど)は報道しない。朝日も毎日もノー天気過ぎないか?日本のオールドメディアは、「小芝居グループ」をいまでも支持している。つまり、口では停戦を求めていても、その実、戦争継続を願っているウクライナや欧州の政治指導者の肩をもっているのだ。Photo by gettyimages5月21日付の「朝日新聞」の社説は、「米国の関与と支援をつなぎとめ、多国間の連携でロシアに圧力を加える以外、ウクライナが許容できる停戦や和平の実現は望めない」と書いている。しかし、これは、「小芝居グループ」の参加者を増やし、いつ終わるとも知れない戦争を継続しろという主張しているのと同じではないか。5月18日付の「毎日新聞」の社説も、能天気なことを書いている。「まず求められるのはロシアが直ちに停戦を受け入れ、平和への道を開くことだ。米国を含む国際社会はプーチン政権への圧力を強化する必要がある」というのである。朝日も毎日も、勝利を収めつつあるロシアに強気に出ろと主張しているのだが、彼らの思考回路は正常なのだろうか。現実を直視できない彼らは、日本国民をだましつづけているのだ。ゼレンスキーの首に鈴をつけよ必要なのは、ウクライナに停戦を迫ることだ。負け戦なのだから、一刻も早く止めろと命じるのが当然だろう。そのためには、対ロ制裁の緩和は必須条件かもしれない。あるいは、領土面の譲歩も必要だし、中立化の宣言もあったほうがいい。さらに、国内状況の安定化のための大胆な改革も不可欠だ。単刀直入に記せば、もう3年間も国民を塗炭の苦しみのもとに置きながら、まだ戦争を継続しようとするゼレンスキーという小芝居の主人公をどうするかを、もっと真剣に考えなければならない。大統領選の実施も必要だろう。Photo...

頼清徳総統1周年スピーチが「ひよった」理由

about 19 hours ago

「大統領」と「総統」の違い先週5月20日、台湾の頼清徳(らい・せいとく)総統が、就任1周年を迎えた。就任当初から予想されたとはいえ、波乱万丈の一年だった。頼清徳総統の話をする前に、ユーチューブの番組などをやっていて、最近よく聞かれる疑問があるので、答えたい。それはトランプ大統領、プーチン大統領など、国民に選ばれたトップは「大統領」と呼ぶのに、なぜ頼清徳氏だけ、「総統」と呼ぶのかということだ。実は英語にすると、「大統領」も「総統」も同じ「President」。一方、中国語には「大統領」という漢字語はなく、大統領のことを「総統」と呼ぶ。例えば、トランプ大統領は「特朗普総統」(トゥランプーゾントン)。もちろん頼清徳総統も、そのまま「頼清徳総統」だ。Photo by gettyimagesそれで私も若かりし頃、外務省のチャイナスクール(中国語研修グループ)の外交官に聞いたことがある。すると、こう答えた。「日本はアメリカとは国交があるが、台湾とは国交がない。国交がないということは、国として認定していないということだから、アメリカのプレジデントと同様に、大統領という呼称を使うわけにいかない。それで台湾で使われている通り、『総統』という言葉を使っているのだ。これならば、中国も文句を言ってこない」何だか、分かったような分からないような……。ちなみに中国は、「台湾はわが国の不可分の領土」と主張しているため、「頼清徳」と呼び捨てにするか、「頼清徳『総統』」と、カギ括弧(かっこ)付きにして表記する。カギ括弧の意味についても、中国新華社通信の関係者に確認したことがあるが、こう気色ばんだ。「台湾側は勝手にそういう呼称を使っているが、こちらは認めていないという意味だ。世界には『一つの中国』しか存在しない!」初の中台トップ会談でも呼称が問題に一度、「呼称問題」で、中国と台湾が話し合いを持ったことがある。台湾がまだ「親中派」と言われた馬英九(ば・えいきゅう)国民党政権下だった2015年11月のこと。中国のトップである習近平(しゅう・きんぺい)主席と、台湾のトップである馬英九総統が、第三国のシンガポールの台湾で会談することになった。まさに、1946年~1949年の国共内戦以来、両側トップによる初の歴史的会談だった。この時、互いにどう呼び合うかで侃々諤々(かんかんがくがく)となったのである。何せ、中国側は上記のように、台湾のトップを、「総統」=「一国のトップ」とは認めていない。一方の台湾側の国民党も、公式的に認めているのは「一個中国、各自表述」だ。Photo by gettyimagesこれは、1992年に両岸(中国と台湾)が合意した、いわゆる「92コンセンサス」で、???一つの中国であるが、何をもって一つの中国とするかは各自が表述する」というものだ。台湾の国民党側は、「一つの中国ではあるが、それは中華民国(台湾)のことである」というのが公式見解なのだ。そのため、公式見解に厳密に従えば、「習近平主席」という呼称は使えないことになる。そこで結局、習近平主席と馬英九総統は、互いに「先生」と呼び合うことで落ち着いた。中国語の「先生」は、「~さん」という男性に対するただの敬称で、肩書きは伴わない。ことほどさように、中国と台湾は、呼称一つとっても面倒なのである。それだけ緊張関係にあるということだ。1年前の就任時は意気軒高だった昨年5月20日、頼清徳新総統は就任演説で、割と奔放に、自分の言いたいことを述べた。「中華民国台湾は主権を持つ独立国家であり、主権は民にある」「中国が中華民国の存在の事実を正視し、台湾人の選択を尊重することを願う」「中華民国と中華人民共和国は互いに隷属していない」「中華民国であれ、中華民国台湾であれ、あるいは台湾であれ、すべてわれわれもしくは海外の友人たちが、われわれの国を呼ぶ名称だ」これに中国側は、猛反発した。直ちに、国務院台湾弁公室を始め、官製メディアを総動員して、頼清徳批判を開始した。就任演説というのは、いわば任期4年の中で最重要の演説だから、中国側は常に「一つの中国」を発言するよう要求する。2008年の馬英九総統(国民党政権)の演説では、これに言及した。2016年の蔡英文(さい・えいぶん)総統(民進党政権)の演説では、言及は控えたけれども、その代わりに全体をマイルドなスピーチにして、中台間の緊張を和らげようとした。ところが、昨年5月20日の頼清徳総統の就任演説では、中国側の神経を逆なでするような発言を、堂々と行ったのだ。これは、以後の4年間、中台間で関係が改善していく見込みがないことを意味した。ただ頼新総統としては、そのポジションに立つまでの自己の道のりを考えれば、当然言うべきことを言ったということだろう。Photo by gettyimages習近平vs頼清徳「1996年の因縁」頼総統は、昨年1月13日に行われた総統選挙で勝利したが、その前日の晩に、生まれ故郷の新北市で「20万人集会」を開いた。総統選挙を取材に訪台していた私も、会場に駆けつけたが、そこでのスピーチで頼総統候補は、珍しくこれまでの自分の半生を振り返った。それによると、頼氏は1959年に、新北市の貧国地区で生まれた。父親は炭鉱夫だったが、頼氏が生まれてすぐに、炭鉱事故で若くして死亡。母親の手一つで、きょうだいたちと苦労して育った。周囲には貧困から死んでいく人が多く、医者になって人助けをしたいと思ったという。学校の成績は極めて優秀で、最難関の台湾大学医学部を卒業し、台南の病院で内科医になった。1996年3月、35歳の時に転機が訪れる。いわゆる台湾海峡危機である。李登輝(り・とうき)総統が、台湾で初めての民主的な総統選挙を実施。自らも再選を賭けて出馬していた。だが、当時の中国側の江沢民(こう・たくみん)政権???、台湾が民主的な選挙で総統を選んだら、李総統はそれを理由に独立を宣言し、台湾共和国を作ってしまうのではと危惧した。そこで、人民解放軍を繰り出して大軍事演習を行い、台湾を威嚇して李登輝総統の再選を阻もうとしたのだ。危機感を募らせた李登輝政権は、アメリカのビル・クリントン政権にSOSを出した。するとクリントン政権は、直ちに2つの空母打撃軍(ニミッツとインデペンデンス)を、台湾海峡に派遣。中国人民解放軍の艦隊を蹴散らしてしまった。そして総統選挙は、李登輝総統が再選を果たし、初の民選総統となった。この時、迫りくる人民解放軍に怒りを覚えた頼清徳氏は、「このまま医者を続けていたら、目の前の患者しか救えない。だが政治家になれば、台湾全土の人々を、中国大陸の脅威から救うことができる」と考えた。それで白衣を捨てて、政界入りしたのだ。頼氏が入党したのは、「台湾独立」を綱領に掲げていた野党の民主進歩党(民進党)だった。しかも党内に8つあった派閥のうち、最も「台湾独立色」が強い「新潮流」に属した。台南市長時代の2017年に、蔡英文総統に請われて、行政院長(首相)に就任した。その時、立法院(国会)の公聴会で、野党・国民党が、「台湾独立志向」について質した。すると頼氏は、おくびもなくと答えた。「私は頑固な台湾独立工作者である」この発言に、中国側は猛反発。「頼清徳だけは将来、総統にしてはならない」と考えるようになった。ちなみに、前述の1996年の台湾海峡危機の時、台湾を威嚇する最前線の福建省の人民解放軍で、共産党書記(福州軍分区党委第一書記)を務めていたのが、習近平氏だった。習氏は、この時に、アメリカ軍に蹴散らされたことに衝撃を受け、「絶対にアメリカ軍に匹敵する軍隊を作らねばならない」と決意した。そのことが、習近平氏の「外交の原点」となった。つまり台湾海峡危機は、習近平氏と頼清徳氏の人生観が変わる転機となったのである。そのような「1996年の因縁」を持つ両氏が、中国と台湾のトップに立ったのっだから、中台関係がよくなるはずもないのだ。昨年の双十節でも踏み込んだ発言頼清徳総統は、台湾の建国記念日にあたる「双十節」(10月10日)の記念演説でも、堂々と持論を述べた。「現在、中華民国はすでに、台湾島・澎湖(ほうこ)島・金門島・馬祖島に根を生やしており、中華人民共和国(中国)とは互いに隷属(れいぞく)していない。民主と自由はこの土地の上に苗木を成長させていて、中華人民共和国には台湾を代表する権利がないのだ」いわゆる「隷属論」である。頼総統はその5日前の10月5日にも、「双十国慶節」のイベントでこう述べた。「中華人民共和国は10月1日、75歳の誕生日を過ごしたばかりだ。数日後には、中華民国が113歳の誕生日を迎える。そのため、年次から言えば、中華人民共和国は絶対に、中華民国の国民の祖国にはなり得ない。逆にわが中華民国の方が、75歳の中華人民共和国以上に、人々の祖国であり得るのだ。もしも誰かが、中華人民共和国の誕生日を祝福するというのなら、特に祝賀メッセージに『祖国』の二字を用いてはならない」こちらは「祖国論」と呼ばれた。これに中国は、再び猛反発。???0月14日に人民解放軍が、戦闘機など125機と空母「遼寧」を台湾の周囲に繰り出して、激しい演習を行った。Photo by gettyimages「中国は『域外敵対勢力』」と断言今年に入っても、3月13日に頼清徳総統が記者たちを集めて、厳めしい表情でこう述べた。「われわれは昨年だけで、64人もの中国のスパイを起訴した。その大半は、現役もしくは退役の軍人だった。中国はもはや、われわれにとって『域外敵対勢力』なのだ」そして、台湾に軍事法廷を復活させるなど、「17戦略」を発表したのだった。中国に対して総統自ら「敵対勢力」と公言したことは、少なくとも今世紀に入ってからは記憶にない。これにまた、中国側は猛反発した。図らずも、翌3月14日は、「反国家分裂法」を制定して20周年だった。「反国家分裂法」は、胡錦濤(こ・きんとう)時代の2005年3月に、台湾に対する武力行使の根拠を定め、有事にこれを正当化する目的で制定した法律だ。全10条のシンプルな法律だが、第8条で「武力行使」の条件を定めている。< いかなる名目、いかなる方式であれ、「台湾独立」分裂勢力による台湾を中国から分裂させた事実、あるいは台湾を中国から分裂させようとする重大な事変の発生、あるいは平和統一の可能性の完全な喪失に対して、国家は非平和的方式及びその他必要な措置をもって国家の主権と領土を守る>中国側は20周年のこの日、北京で記念の座談会を開催。このイベントに、台湾攻撃の際の現場責任者となる林向陽(りん・こうよう)東部戦区司令員(上将)も参加し、こう言い放った。「もしも『台湾独立』分裂分子が一人勝手に危険な道に進むなら、もしも外部勢力が故意に両岸関係の緊張と動乱をもたらすなら、人民軍隊は台湾人民を含む全国人民と一体になって、一切の必要な措置を取り、強力な阻止のための征伐を与える。東部戦区は(習近平)新時代の共産党の台湾問題解決の総合的な戦略を決然と貫徹し、歴史が付与した栄光の使命を決然とやり抜いていく。常に戦争待機の状態を保持し、いつでも戦争できるよう高度の警戒準備をし、さらなる可能な手段、強大な能力を鍛錬していく。祖国の完全統一を維持、保護するために、できることはすべて行って、軍事的な一手を準備しておく」中国が「雷を落とす」軍事演習この時、中国側が行ったのは「口撃」だけではなかった。4月1日と2日に、人民解放軍が台湾侵攻を想定した軍事演習「海峡雷霆-2025A」を挙行したのである。演習の名前に「A」と付けたことは、今年この先、「B」や「C」も続けて行うことを示唆していた。演習を終えた4月2日、中国国防部の張暁剛(ちょう・ぎょうごう)報道官は、こう言い放った。「頼清徳当局は『独立』の挑発に狂い、両岸の緊張を加速させている。『外部を頼って独立を謀る』(倚外謀独)、『武力をもって統一を拒否する』(以武拒統)という狂乱の道に突っ込んでいるのだ。『台湾独立』と台湾海峡の平和は水と火のように相容れず、『台湾独立』を掲げることは台湾を戦乱の危機に追いやり、台湾同胞を水深く、火熱く陥れることだ。事実が再???証明したのは、『台湾独立』分裂勢力と頼清徳当局は、目下の台湾海峡情勢の最大の挑戦であり、まごうことなき『危険製造者』『トラブル製造者』なのだ。火を弄ぶ者は自分が焚かれてしまうと、いままさに頼清徳当局に告げる!」Photo by gettyimagesトランプ政権からの圧力こうした中で、5月20日の頼清徳総統就任1周年を迎えたのである。1周年の記念スピーチで、頼総統がどんな激しい発言をするのかに注目していたら、語ったのは次のようなことだった。「民主はわれわれの市場であり、価値である。さらに、われわれの国力の表示でもある。私は台湾人が、一人として民主・自由な生活を放棄することがないよう信じている。また総統が一人として、民主・自由の価値から離反しないことを信じている」このように述べたが、「台湾独立」絡みや、中国を非難するメッセージなどは何もなかった。頼清徳総統が、このようないわば「スカスカの演説」をするのは、非常に珍しかった。いったいどのような心境の変化があったのか?Photo...

【先行カット特別公開】月城かなとさんが語る「美とは何か」撮影の様子もお届け!

about 19 hours ago

2025年5月29日(木)発売の『FRaU JAXURY MOOK』に、月城かなとさんが登場。元宝塚歌劇団月組トップスターとして圧倒的な存在感と表現力で人々を魅了してきた月城さんが、「美とは何か?」という問いに、自らの言葉で静かに、そして深く向き合ってくださいました。現場スタッフも思わず「素敵……!」取材当日、撮影現場に入ってきた月城さんは、あいさつと同時に柔らかく場の空気を和ませてくれる姿が印象的。メイクルームでは「どんなメイクに出会えるのか楽しみ」と笑顔で話し、撮影が始まると一転、男役として培ってきた豊かな表現力も発揮してくれました。空気を変える凛とした表情、繊細な手の動き、光を受けて浮かび上がる瞳の輝き……そのひとつひとつに、現場スタッフも息を呑みました。しなやかで力強い眼差しと絶妙なポージングで魅了し、現場では「素敵…!」という声が何度も上がりました。今回の撮影では、繊細なベージュトーンにカーキを効かせた目元や、奥行きある血色感のリップなど、月城さんのエレガントな美しさがさらに引き立つメイクアップにも注目!「メイクで新しい自分に出会えるって、すごくワクワクする体験」と話す月城さん。カメラ前では瞬時にさまざまな“顔”を見せてくれました。「美しくなろうと懸命になる姿も美しい」インタビューでは、演じた『白雪姫』の女王役をきっかけに、美しさの本質を考えるようになったこと、そして「誰かの評価ではなく、自分の感性で“ほんもの”を見極めたい」という強い想いも明かしてくれました。『FRaU JAXURY MOOK』発売前に、今回先行公開となるビジュアルカット。「美しくなろうと懸命になる姿も美しい」——この言葉の真意が、誌面を通して胸に響きます。この言葉の背景には、“評価”ではなく“自分の感性”を信じて選び取っていくという、月城さんの芯にある美学を感じられます。さらに、秩父・三峯神社で触れた日本の自然や、坂本龍一さんの展覧会で感じた“静かな衝撃”についても語られ、月城さんの内面にある繊細な感性がにじみ出る内容となっています。ぜひ誌面でじっくりとご覧ください!Photo : AKIRA SHIMAZU(W) Hair & Make-up...

バービーが「自分は空っぽだ」と悩んだ20代後半を経て北海道・栗山町の幼馴染の家を買うまで

about 19 hours ago

フォーリンラブのバービーさんが芸人として、ひとりの女性として、モヤモヤしたことや疑問に思ったことなどと向き合い、自らの言葉で本音を綴っているFRaUweb連載「 本音の置き場所 」(毎月1回更新)。今回は、2016年からバービーさんが取り組んでいる地元・北海道夕張郡栗山町の町おこしについて。過去のインタビューで地方創生を夢見た理由を聞かれた際、「地元の人は観光資源もないんだから来たって面白くないよって言うんですけど、“この何もないのが宝”なんだと思います」と語っていたバービーさん。現在は取り組みのひとつとして、家族や地元の人とやりとりをしながら古民家をDIYで改装中ですが、その町おこしの原点ともいえる古民家の購入当時のことを振り返ります。20代後半でバービーがもがきまくっていた頃先日、ラジオのリスナーさんからクォーターライフクライシス(Quarter-Life Crisis)』という言葉を教えてもらった。20代後半から30代前半の若年層が抱える、将来やアイデンティティに関する不安、焦燥感を表す言葉で、人生の4分の1地点での迷い、というニュアンスらしい。はいはい、ちょっと前の時代でいう「28歳ぐらいで急にネイリストの資格取り出すあれね」と、一瞬で腹落ちした。ひと言で言えるなんてもっと早く知りたかった。ご多分に漏れず私もこの頃は、大人の家庭教師トライを受講したり、宣伝会議のコピーライター養成講座に申し込んだり(30講義中、2回しか出ていない)、ガーデンデザインやハーブ&スパイスコンサルタント、チベット体操インストラクターの資格を取るなどした。とにかく、もがきにもがきまくっていた時代だった。テレビの中でも1番破茶滅茶していた頃、やればやるほど自分ってこんな人間だったっけ?と現在地がわからなくなっていった。「自分はなんて実のない人間なんだろう。空っぽだ」ありがたいことに周りの人たちのおかげでお仕事に恵まれていた。だけど、「テレビでよく見てます」とキラキラした目で声を掛けてもらう度に、私はそんな特別な人間じゃないのに…???とさらに卑屈になっていった。ひとりでインドに行き、ガンジス川で沐浴したけど、実体のある自分なんて見つからなかった。仕事にもどこか「私じゃなくてもいいのかも」という感覚がつきまとっていた。震災のとき、何もできなかった無力感も引きずっていた気がする。「バービー」でなく本名で呼んで欲しかった当時、プライベートで出会った人には「バービーじゃなく花菜ちゃんって呼んで」と言っていた。今思えば痛いヤツだが、せめてもの抵抗だったのだと思う。空っぽな部分を埋めたくて、バービーじゃない私は、何のしがらみもない私は、何が好きだったのかを探ることにした。小さい頃、何に夢中になってた?どんなことかなワクワクしていた?北海道で過ごした子ども時代を何度も思い出していると、地元の夢をよく見るようになった。たどり着いたのはやっぱり緑が好きという感覚。脳内に浮かぶのは小さい頃に見ていた草花の姿だった。北海道のドラマに出演したり、甥っ子たちの誕生が重なったこともあり、地元の活性化に関わりたいと自然と思うようになった。写真提供/バービー東京と栗山町の橋渡しがしたい2017年元旦。「東京との橋渡しがしたい」と地元の北海道栗山町役場に乗り込んだ。起点を設けなければ、と。その日の夜、約10年ぶりに幼馴染に電話をかけてみた。「実家、売りに出したりしてない?」彼の家は、私にとって憧れの場所だった。敷地内には陶芸工房があり、陶芸家のおじさんがろくろを回させてくれたこともある。ハーブとの出会いも、その家だった。北海道では「ハッカ」は馴染み深い存在だけれど、そのハッカが「ペパーミント」と呼ばれ、ハーブティーとしてガラスの急須で淹れられると、不思議なことにまるで異国の香りのように感じられた。庭で摘んだそのペパーミント(実はほぼハッカと同じもの)を使って、彼のおばさんは私たち小学生にフレッシュミントティーをふるまってくれたのだ。鼻に抜けるスーッとした香り。力が抜けて台所から差す光と窓から通り抜ける風に包まれた。それまで番茶と漬け物しか知らなかった私にとって、焼き菓子をお茶請けに味わうその一杯は、まるで別世界の味がした。玉ねぎ畑に囲まれた決して綺麗とはいえないボロ屋なのだが、私にはまるでピーターラビットの世界に見えた。そんな思い出が詰まったあの場所が、町おこしの拠点にはぴったりだと思った。写真提供/バービー忘れられない味ともう一度つながるために、東京の自宅でコンテナにミントを植え、自分でミントティーを淹れてみたこともあるけれど、やっぱりあのときのようなパンチがない。きっと、土の力がまるで違うのだろう。あの土地が持つ、生命力そのものの違い。そのとき初めて、土地の大切さをひしひしと感じた。庭には、野うさぎやキツネ、ヘビが遊びに来る。彼らと目が合うことがあっても、人間と目が合うことなどありえないほど???土地。そんな「彼の実家」を本当に売ってもらえることになった。「笹森花菜」として戻れる場所いまやこの古民家は、私にとって心がふわっとする場所になった。ありのままの自分でいられて、何も証明しなくていい。誰にもジャッジされない安心感がそこにはある。だからこそ誰かにとって「心がふわっとする場所」になって欲しいと思った。このままではもたない——。そんな思いを、無意識のうちに感じ取っていたのかもしれない。だから私は、“バービー”ではなく、“笹森花菜”として戻れる場所に引き寄せられていった。そして気づけば、地元と深く関わるようになっていた。写真提供/バービー「あんなゴミみたいな家、どうすんだ?」譲り受けたことを伝えたとき、近所のおっちゃんにそう言われた。でも、それこそがやりたかったこと。地元の人にはゴミでも、外から見ると宝物に思えることがある。その価値を、地元の人にも外の人にも知ってほしい。それこそが、私のやりたい町おこしだ。あともうひとつ理由がある。当時、父がちょうど定年退職したばかりで、時間を持て余していたのだ。「お酒ばっかりなんだぁ」と母が、電話でよくぼやくようになっていた。庭いじりや日曜大工が好きな父なら、古民家をきっと遊び場のようにしてくれる。そんなイメージが浮かんだ。予想通り、古民家を譲り受けたいと話したとき、久しぶりに寡黙な父・孝雄の目に力が戻った。その瞬間を私は見逃さなかった。近所だから場所は知っているはずなのに、「すぐに見に行こう」と言って、翌日には外から見るだけのプチドライブを決行した。写真提供/バービー所有者である幼馴染のお父さんから話を聞く初めての手続きで時間はかかったが、正式に譲り受けることが決まり、所有者である幼馴染のお父さんに会うことになった。そのおじさんは、ひとりでその家に暮らしていたが、すでに余命宣告を受けて札幌の病院に入院していた。譲り受ける者として、どんな暮らしをしていたのか、何を大切にしていたのか。ちゃんと話を聞いておかなくてはと思った。忘れないようにとノートを開いたそのすぐ横で、余命いくばくと宣告されたとは思えないパワーで、おじさんは語り始めた。「庭に咲く白い桜は珍しい。あれは30年前に自分で植えた。梨の木もある。あれは切らないでくれ」――そんなふうに、思いのこもった言葉が次々とあふれ出た。手続きがまとまり、やがておじさんは亡くなった。庭には少し手を入れたけれど、おじさんが語っていた白い桜は、今も私たちの目を楽しませてくれている。幼馴染の実家の家じまいを自分がするなんて、思ってもみなかった。しかもそれを、自分の両親と一緒にやる日が来るなんて。写真提供/バービー不思議だったのは、その家を片づけながら、ふと想像してしまったこと。もしこれが父だったら、どこを残してほしいと思うんだろう。母だったら、何を大事にしてたかな。写真提供/バービーそんなことを自然と考えている自分に気づいたとき、胸の奥がじんわり熱くなった。点と点がつながって、バラバラだった時間や出来事が一本の線になった気がした。インドでは自分らしさを見つけられなかったけれど、この瞬間、「あぁ、今、生きてる」ってはっきり思えた。◇後編【モノを捨てられないバービーが北海道・栗山町の古民家を家族総出でDIYしてわかったこと】では購入してから開業までをお伝えする。

ドラゴンの目は何色?難問の「驚くほどシンプルな法則」に気づけるか【論理クイズ】

about 19 hours ago

一見、複雑で解決が難しそうな問題も、実は単純な「法則」で成り立っていることがよくあります。表面の複雑さに惑わされず、その背後に潜むシンプルなルールを見つけることができれば、どんな難題も解けるはず。論理的思考問題の傑作を世界中から収集・解説し、20万部を突破している話題書『頭のいい人だけが解ける論理的思考問題』(ダイヤモンド社)から、単純な「法則」を見つけることで解ける問題を抜粋して出題します。知識や計算はいっさい不要。問われるは「考える力」のみ。とても難しい問題なので、頭をフル回転させて挑んでください。ドラゴンの島▼問題あなたは青の目をしたドラゴン100匹が生息する島を訪れた。この島には不思議なルールがある。『自分の目が青色だとわかったら、その日の夜に島を出る』島に鏡はなく、ドラゴンたちは会話を禁じられている。つまりドラゴンたちは自分の目の色を知らずに生きてきた。もちろん、他のドラゴンの目が青色なのは知っている。あなたは島を出るときに、「この中に少なくとも1 匹、青の目をしたドラゴンがいる」とすべてのドラゴンに告げた。イラスト:ハザマチヒロさて、これから何が起こるだろうか?なお、ドラゴンはきわめて論理的な生物である。また、すべてのドラゴンは毎朝1回、広場に集合する。……ん? ちょっと意味がわからない問題です。ドラゴンたちは、「自分以外のすべてのドラゴンの目は青色である」と知っています。そこにあなたが「少なくとも1 匹、青の目をしたドラゴンがいる」と告げたところで、何か変わるとでもいうのでしょうか。どのドラゴンも、「そんなことは知っている」と思うでしょう。つまりあなたの発言には、なんの意味もないように思えます。ですが、よく考えてみてください。「すべてのドラゴンは、自分の目の色がわかっていない」というのが大きなポイントです。そしてお馴染みの、「ドラゴンはきわめて論理的な生物である」という条件。これまでの問題において「論理的」とは、「論理的に先を見通す力」のことでした。ということで、この問題も「先読み」が必要になりそうです。でも、100匹いるんだよな……。ヒント1まずは「単純」なパターンから考えてみるヒント2ドラゴンが「2匹」しかいなかったら、どうなるか?ドラゴンが「1 匹」なら?「金貨の山分け」でもそうでしたが、基本的に、扱う数や情報が多いときは、まずは「単純化」して考えます。この問題でやっかいなのは、どう考えても「100匹」という数です。まずはこの数をグッと単純化して、「1匹」のときから考えてみましょう。とはいえ1匹のとき、話は簡単です。ドラゴンは即座に「目が青色なのは自分だ」と気づくので、1日目の夜に島を出ます。ドラゴンが「2 匹」なら?では、島にいるのが「ドラゴンA」「ドラゴンB」の2匹の場合ならどうでしょう。2匹のドラゴンは互いに、相手の目が青色だとわかっています。そしていま「少なくとも1匹のドラゴンは青色の目である」と知らされました。1日目、ドラゴンAは以下のように考えます。「もし私の目が青色でないならば、ドラゴンBは自分の目が青色だと即座に気づくはず」「ということは、ドラゴンBは今日の夜、島を出るだろう」そして、ドラゴンBも同じように考えます。ところが2日目、ドラゴンAとBは再び出会います。お互いに「相手が島を出るはず」と思っていたため、驚きます。そして、ドラゴンAはこう考えます。「もし私の目が青色でないならば、ドラゴンBは昨日の夜に島を出ていたはず」「でも、ドラゴンBは出なかった」「つまり、私の目は青色なのだ」そして、ドラゴンBも同じように考えます。そのため 2 日目の夜、ドラゴンAとドラゴンBは同時に島を出ます。ドラゴンが「3 匹」なら?では、島にいるのが「ドラゴンA」「ドラゴンB」「ドラゴンC」の 3匹の場合ならどうでしょう。ここからが、少しややこしくなります。3匹のドラゴンは互いに、他2匹の目が青色だとわかっています。そしていま「少なくとも 1 匹のドラゴンは青色の目である」と知らされました。1日目、ドラゴンAは以下のように考えます。「もし私の目が青色ではないなら、青目のドラゴンはBとCの2匹」「BとCは、はじめは相手だけが青の目をしていると思い込むが、1日目の夜に相手が島を去らなかったのを見て、自分の目が青なのだと気づくだろう」「つまり2日目の夜に、BとCは同時に島を去るはずだ」そして、ドラゴンBとCも同じように考えます。そのため2日目の朝、3匹は再び出会いますが、ここではまだ驚きはありません。ところが、全員が「自分以外の2匹が青い目をしている」と思っているため、2日目も誰も島を出ません。よって3日目、3匹は再び出会います。そして、ドラゴンAはこう考えます。「もし私の目が青色でないならば、ドラゴンBとCは、1日目に相手が島を出なかったのを知って、2日目の夜に島を出ていたはず」「でも、ドラゴンBもCも島を出なかった」「ということは“もし私の目が青色でないならば”という仮定が間違っている」「つまり、私の目は青色だ」そして、ドラゴンBとCも同じように考えます。そのため3日目の夜、ドラゴンA,B,Cの3匹は、同時に島を出ます。ドラゴンが「100匹」なら?ドラゴンが...

泉ピン子「『渡る世間は鬼ばかり』の超長いセリフを覚えるためにやったこと」

about 19 hours ago

2025年現在、Tverや U-NEXTなどの動画配信サービスで泉ピン子さんの代表作の一つである「渡る世間は鬼ばかり」が配信されている。「渡る世間〜」通称「渡鬼(わたおに)」は、橋田壽賀子さん脚本のホームドラマで、第1シリーズから第3シリーズまでの主役は山岡久乃さん。ピン子さんは、第4シリーズから第10シリーズまでの主役を務めた。35歳で大河ドラマ「おんな太閤記」に出演、「渡鬼」が終わった60歳までの25年間は、「当時の仕事のことを思い出そうとすると、必死でセリフを覚えていた記憶しかない」という。泉ピン子さんの著書『終活やーめた。元祖バッシングの女王の「ピンチを福に転じる」思考法』は「ピンチだらけの人生」をどのような思考で乗り越えて生きてきたのかが伝わってくる一冊だ。2025年5月現在77歳、18歳で漫談家としてデビューしてからもうすぐ60年になろうとしているピン子さんは、そのうち半分近くを「渡鬼」とともに過ごしたことになる。実際橋田寿賀子さんや「渡鬼」なくしてピン子さんの反省は語れない。さて、長台詞で有名な橋田壽賀子さんの脚本の中で、“役として生きる”上では、常に難しさと面白さの両方があった。その“難しさ”の最たるものが「セリフを覚えること」。今回は、ピン子さん流セリフ暗記術について聞いた。橋田先生のセリフは、主婦のために作られています元々、橋田先生のセリフは、その家の家事を任された主婦のために作られています。「主婦はやることが多くて忙しいから、1時間もテレビの前に座っていられない。だから、耳で聞いても展開がわかるようにというのと、ちょっとぐらいテレビから離れても、戻ったとき『あ、いない間にそういうことがあったのね』と内容についていけるように」という心遣いと「登場人物たちの本音を全て口に出すことで、観ている人にスカッとしてもらう」という確固たる信念のもと、脚本を書いていらっしゃいました。大正生まれの一人っ子で、若くしてご両親を亡くされていることもあって、先生の中には“家族”というものに対する並々ならぬ憧れがあったんじゃないかと思います。家族ぐるみで旅行に行くほど仲の良かった「橋田ママ」橋田寿賀子さんとピン子さん 写真/『終活やーめた。』よりでも、演じる方は本当に大変! 橋田先生の書いたお芝居をやっている間は、とにかく毎日長いセリフを覚えて、撮影して、また長いセリフを覚えての繰り返し(苦笑)。次の日の台本をもらったら、帰りのタクシーで黙読して、家で声に出して呼んで、お風呂に浸かりながらセリフを何度も繰り返して、気づいたら朝、みたいな(笑)。周りからはよく、『セリフ覚えがいい』と言われましたが、私の中に頑張る原動力があるとすれば、「責任感」。それ以外の言葉は当てはまらないです。引き受けたからには最後までやり抜く。その思いだけでやっていました。以前、私がまだ駆け出しだった頃、セリフをちゃんと覚えていかなかったことで森光子さんに叱られたエピソードをお話ししましたが(※3月5日公開の記事)、そうやって直々に叱ってもらうこと以外にも、先輩の背中を見ながら、「すごいなぁ」と襟を正すこともありました。「ちゃんとセリフは覚えてきてください!」その筆頭が山岡久乃さん。山岡さんといえばホームドラマで、「しっかり者のお母さん」みたいなキャラクターが確立していましたけど、芸能界の重鎮である森繁久彌さんに対して「ちゃんとセリフは覚えてきてください!」って言えるほど強くて厳しい人でした。親友・西田敏行さんは「おしん」のときに「絶対その役をやったほうがいい」とアドバイスしたという 写真/『終活やーめた。』より山岡さんにと初めてご一緒したのは、NHKの「夫婦」っていう、定年間近のサラリーマン夫婦の姿を描いた辛口のドラマでした(1978年)。そのドラマが大変な評判を呼んで、今度は舞台になって。当時の山岡さんは50代前半で、まさに橋田先生がイメージする主婦の抱える不安や葛藤みたいなものを、すごく上手にセリフに落とし込んでいらしたなと思います。山岡さんのすごいところは、たとえば、サヤエンドウの筋を取りながら言うセリフがあったりすると、休憩中にセリフを練習するときもちゃんとサヤエンドウの筋を取りながら、ブツブツとセリフを復唱していたりする。確かに、お芝居でいちばん難しいのが、何かをしながら自然にセリフを言うことなんです。橋田先生の長ゼリフなんかだと、尚更つっかえないように言わなきゃならないから、何かと同時にするのが難しい。お芝居にリアリティを持たせるために、実際に言葉や作業を体に馴染ませている姿を見て、本当に頭が下がりました。森光子さんのアドバイスセリフを覚える方法? もうね、年齢を重ねるごとに覚えが悪くなっちゃって(涙)。本番で失敗しないためには、睡眠時間を削るしかなかった。とにかく最初の頃は、何度も何度も音読していました。セリフを録音したものを耳で聞いて覚えるという人がいたので、自分で読んだものをテープに録音したこともあるけど、面倒臭い(笑)。台本に書き込みしたら、グチャグチャになっちゃうし、どうやったら自分に合った方法があるのかとずっと探していたら、森光子さんが、「書くといいわよ」ってアドバイスしてくださいました。森光子さん、杉村春子さんと 写真/『終活やーめた。』より以来、台本とスケジュール帳をもらうと、スケジュール帳って裏には何も印刷されていないから、そこに自分のセリフをだいたい2回ぐらい書き写して、それを折ってポケットに入れるようになりました。でも、2回書いても覚えられないから、そこに「ここからここまでがこう言う意味」とか、「これは〇〇に対して言っている」なんて書き込みをしていくから、余計に読めなくなっちゃったりして、あれは難儀よ、本当に難儀(笑)。でも、そうやって言葉と格闘することは、ある意味、脳のリハビリになるんじゃないかと思ってやってます。セリフを書き写すようになってすぐ、好きなボールペンで書けばちょっとはセリフ覚えも苦行じゃなくなるかもと思って、銀座の伊東屋にボールペンを買いに行きました。いろんなペンを試して、見つけたのが今使っている細ペン。あと、私の愛用の文房具の中では赤鉛筆も必須です。台本をもらってすぐは、帰りの車の中で自分のセリフに赤線を引きながら覚えていくので。サインも、好きな筆ペンがあって、色紙のサインに押す落款は、杉村(春子)先生が中国に行ったとき作ってくれたものです。何でもそうだけど、自分の体を使って何かを表現するときに、うまくやる近道なんてない。だったら、コツコツと努力する過程で、ちょっとでも自分のご機嫌を取れるように工夫することが、生きていく知恵なのかもしれません。TEXT:Yoko Kikuchi

モノを捨てられないバービーが北海道・栗山町の古民家???家族総出でDIYしてわかったこと

about 19 hours ago

生まれ故郷である北海道栗山町の町おこしに携わって約9年。その取り組みのひとつとして、家族や地元の人とやりとりをしながら古民家をDIYで改装しているフォーリンラブのバービーさん。バービーさんのFRaUweb連載「本音の置き場所」最新回では、その古民家の購入までの経緯を振り返り、町おこしを進める中で感じたことなどをお伝えしています。幼馴染の実家である古民家を譲り受けた後、「あんなゴミみたいな家、どうすんだ?」と近所の人に言われたというバービーさんですが、「地元の人にはゴミでも、外から見ると宝物に思えることがある。その価値を、地元の人にも外の人にも知ってほしい」と、日曜大工が好きな父親をはじめ、家族総出で古民家の改装を開始。それが予想以上に難航し、問題が山積みだったそうで、その詳細とともにバービーさんが思い描いている理想も綴っていただきました。「家族総出でDIY」までに3年かかったわけまさに、家族総出でのDIYが始まった。……いや、その前に。まずは家の中のモノを処分するのに、実に3年かかった。心を無にしてバッサリ捨ててしまえば、きっともっと早かったんだと思う。私も両親もどちらかといえばモノを捨てられないタイプ。それもあって、片づけは思った以上に難航した。写真提供/バービー「あのレコードは価値があるかもしれない」「このテーブル、まだ使えるから誰か欲しい人いないかな」「このネジ、ないとダメなやつじゃない?」そんなことを言いながら、全然捨てない。極めつけは、「花菜、ちょっといいか。金箔を見つけたんだ」と得意げに呼ばれ、見せられたのがカンカンから出てきたタバコの中紙。思わず、「それ、ただのゴミだよ!」って叫んでしまった。さすがの私も、そこには価値を見出せなかった。リノベーションの「問題」いざ内装のリノベーションに移ってみると、そこでも問題は山積みだった。というのも、私のインテリアのセンスが独特すぎて、あちこちがチグハグになってしまったのだ。たとえば、鶴が舞う和風のふすま紙に、モロッカン柄のクッションフロア、大正ロマン風の薪ストーブ。単体ではどれも素敵なのに、組み合わせるともうカオス。まとまりゼロ!写真提供/バービーDIYの流れはだいたいこんな感じ。Amazonで私が「これ素敵!」と思った壁紙や床材などを選び、実家に送りつける。それを受け取ってDIYしてくれるのは、父と母、時々兄と姉。本当にありがたかった。床に断熱材が必要だということで、「根太(ねだ)」という木を組み、その間にスタイロフォームをはめ込む作業を父がほぼ全部やってくれた。ふすま紙は、母と遊びに来た近所の人が貼ってくれたらしい。写真提供/バービー私が帰省できたときには、壁を壊したり貼ったり、バスタブを引っこ抜いたり……とにかく全力で体を動かした。毎日こんな生活をしたら東京でどうせサボるジムに課金しなくて済むのになぁなんて思いながら。家族が大集合して、久しぶりにみんなで力を合わせた日々は、今ではとても楽しい思い出だ。2025年春、8年の月日を経て民泊を始める古民家を譲り受けてから苦節8年。そんなこんなの珍道中を経て、この春ついに民泊を始めることになった。以前からいろんな人に具体的なアドバイスはもらっていたけれど、何せ私は手続きが大の苦手。事務手続きのプロである夫・つーたんが申請を引き受けてくれたり、素晴らしい行政書士さんと出会えたりしたことで、ようやく話が一気に動き始めた。写真提供/バービー私はずっと「空き家問題」が気になっていた。少子高齢化が進み、全国的に空き家は年々増えている。総務省が2024年4月30日に発表した資料によると、2023年10月1日時点で空き家数は900万戸と過去最多だそうだ。2018年から51万戸増加しており、空き家率も13.8%と過去最高だという。空き家は多いけれど、売りたい人と買いたい人、もしくは住みたい人がなかなかうまく出会えない。相続などの複雑な事情を抱えた物件も多く、情報も少なくて、空き家はそのまま“閉ざされた空間”になってしまうことが多いのではないだろうか。でも、少し手を加えれば生まれ変わる家はたくさんある。むしろ、昔ながらの空気がそのまま残るような空き家に、よだれが出るほど惹かれてしまう私のような人間もいる。写真提供/バービー捨てるより活かす方向で考えない?結局、民泊を始めるのに約8年かかった私だけれど、だからこそ今は思う。放置されたままの空き家があるなら、貸し出したり、民泊として活かすなどするのはどうだろう。どうせ私たちはうまく捨てられないたちなのだから、いっそのこと、捨てるより活かす方向で考えませんか? と言いたい。「暮らすように泊まりたい」と願う人がその願いを叶えられるように、日常の延長のような1泊、スーパーで買い物をして、土に触れて、夜は町の人と語る。そんな体験が、誰かにとって「また来たい場所」になるかもしれない。私が願うのは、持続可能な町になること。それはつまり、子どもたちが「ここで生きてもいい」と思えるような町であってほしいということ。ふるさとが、人の温もりを失わないままでいてほしい。写真提供/バービー暮らすように泊まりたいと願う人が増えているからこそ、民泊の数は増加しているのではないだろうか(国土交通省が2025年4月に出した資料では北海道は最も多い)。そのために、関係人口が増えることが何より大事だと信じている。「移住」や「定住」でなくても、この町に関わってくれる人が、ひとり、またひとりと増えていくこと。それが、町の未来を支える力になる。「町ごとホテル化計画」私には、思い描いている理想がある。その名も、「町ごとホテル化計画」だ。たとえば、道路脇にふいに現れるキツネ。いつ寝ているのかわからないくらい、ずっと営業している喫茶店・ツモローのママ。恋の始まりの定番・栗山公園。そんな何気ない風景すべてが、栗山町を形づくっていて、どれもがこの町の“物語”だと思っている。だから私は、この町全体が「泊まれる場所」になる未来を思い描くようになった。写真提供/バービー閉ざされていた空間が少しずつ開かれ、町の人たちがそれぞれのかたちで民泊を始める。朝ごはんはホストファミリーのお母さんの手料理かもしれないし、もちろんツモローでもいい。夏は畑での収穫体験、冬はスノーモービル。地元のスーパーで都内では見かけない食材を買って料理を楽しみ、夜はスナックへくり出す。一つひとつは点在しているように見えても、実はつながりあえるのが田舎の強みだと思う。これはもう、「宿に泊まる」のではなく、「町に泊まる」感覚じゃないだろうか。他人の“当たり前の暮らし”を体験し、自分の外にある価値に触れること。それこそが、旅の本質だと思う。昔、私がミントティーを飲んで、世界が少し広がったように、この町に来た誰かにも、そんなふわっとした変化が訪れたらうれしい。そしていつか、未来の栗山町を旅した誰かが、こう言ってくれるようなお手伝いをしていきたい。「帰ってきたくなる町だったよ」って。写真提供/バービー