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日々是闘い。〈木村光一の独白〉

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Latest posts

Last updated 12 months ago

幻の格闘技アリーナ『アントニオ猪木記念館』構想

over 3 years ago

2004年の夏頃、猪木事務所から依頼を受けて作成した、ある文書の一部を初公開する。力道山時代に存在したプロレスの殿堂『リキパレス』をさらにスケールアップして現代に蘇らせようという壮大な計画──アントニオ猪木の名を冠す???格闘技アリーナの設立趣意書である。残念ながら実現には至らなかったものの、たとえ一瞬でも、猪木さんの夢の一翼を担えたことは私にとって光栄だった。

アントニオ猪木が語る“レジェンドレスラー”   (20)アンドレ・ザ・ジャイアント

over 3 years ago

【大巨人アンドレの密かな欲望】 ──猪木さんが1976年10月7日・蔵前国技館でアンドレ・ザ・ジャイアントと『格闘技世界一決定戦』を行ったのはなぜですか? あれはあくまで〝プロレス界最強の男〟こそが格闘技界の頂点に相応しいという宣言だったと理解すればいいのでしょうか。 猪木 というよりも、あれはもうレスラーじゃなかったでしょう(笑)。 ──たしかに。アンドレ選手はすべて...

アントニオ猪木が語る“レジェンドレスラー”   (21)パク・ソンナン

over 3 years ago

【70年代の韓国プロレス】 ──幻のセメントマッチといわれる〝韓国の巨人〟パク・ソンナン戦が行われた1976年(昭和51)当時の〝韓国プロレス界〟について聞かせてください。 猪木 やっぱり、キム・イル=大木金太郎の人気が凄かったね。俺と金太郎さんとの一戦が韓国プロレス界のピークだったんじゃないかと思う(1975年3月27日、ソウル奨忠体育館)。なにしろ朴正煕(パク・チョンヒ/1971〜197...

アントニオ猪木が語る〝異種格闘技戦史上最高の闘い〟

over 3 years ago

【闘いながら感動したモンスターマンの芸術的な蹴り】 ──一連の『格闘技世界一決定戦』(異種格闘技戦)における最大の収穫はなんといってもザ・モンスターマン・エベレット・エディ選手(全米マーシャル・アーツ/スーパーヘビー級チャンピオン)だったと思われます。当時、マーシャル・アーツ(プロ空手)はまだ日本で未知の格闘技でしたが、猪木さんはいつ頃からモンスターマンに注目していたの...

アントニオ猪木が語る〝『ロッキー』のモデルになった男との闘い〟

over 3 years ago

【チャック・ウエップナーの〝ラビットパンチ〟】 ──日頃から猪木さんは「キックはそれほど恐れなくていい。本当に怖いのはヘビー級ボクサーのパンチだ」と若手選手に話しているそうですね。 猪木 日本人でヘビー級ボクサーの、しかも一流選手のパンチを受けたことがあるのは俺だけなんですよ。 ──たしかに。日本にはヘビー級ボクサーが存在しま...

アントニオ猪木が語る〝幻のジョージ・フォアマン戦〟

over 3 years ago

【猪木・アリ戦が格闘技界の枠組みを変化させた】 ──異種格闘技戦の対戦相手として、一時、プロボクシング元ヘビー級王者ジョージ・フォアマンの名前が頻繁にあがっていました。そもそもフォアマンとは1977年(昭和52)10月に対戦内定という発表もあってファンは大いに期待していたのですが、結局、実現には至っていません。いったいなぜ猪木・フォアマン戦は行われなかったのでしょうか?...

アントニオ猪木が語る〝WWWF(WWE)も便乗した格闘技イベント〟

over 3 years ago

【先代マクマホン・シニアの商才と実行力】 ──1978年(昭和53)4月、アメリカのフィラデルフィアで『格闘技オリンピック』と銘打たれたイベントが開催され、それにアントニオ猪木、坂口征二、ストロング小林の〝新日本プロレス三強〟も参加していました。まずはこのイベントの詳細について伺いたいと思います。主催はWWWF(現WWE)のビンス・マクマホンでしたが、この格闘技イベント...

アントニオ猪木が語る 〝モハメド・アリとの再戦が実現しなかった理由〟

over 3 years ago

【アリ戦の負債が異種格闘技路線を継続させた】 ──そもそも『格闘技世界一決定戦』とはモハメド・アリ戦を意味する呼称のはずでした。しかし、この一戦によって新日本プロレスは莫大な負債を抱え、やむを得ず異種格闘技戦がシリーズ化されてしまったわけですが、猪木さんとしてはどんな思いでリングに立ち続けていたのでしょうか? 猪木 〝宵越しの金は持たない〟というよ...

アントニオ猪木が語る〝グレート・アントニオ制裁試合〟

over 3 years ago

【〝密林男〟前代未聞の怪力デモンストレーション】 ──グレート・アントニオと猪木さんの最初の接点から聞かせてください。 猪木 グレート・アントニオが初めて日本プロレスに来たのはまだ俺が入門したての頃で、羽田空港でいきなり長イスを「ウワァー!」って持ち上げてそこに集まっていた人たちを追い回してね。新人の俺なんかいちばん前にいたんで、とにかくびっくりし...

アントニオ猪木が語る〝闘いを通して体感した柔道の格闘技性〟

over 3 years ago

【ルスカの強烈な投げを無力化した究極の受け】 ──以前、日本プロレス道場時代、大坪清隆さんという柔道出身の先輩からよく指導を受けていたという話を伺ったんですが、その点も含めて、猪木さんがウイリエム・ルスカ戦に臨むまで抱いていた柔道という格闘技に対する認識について聞かせてください(註/このインタビューが行われたのは1996年。その時点から20年前のルスカ戦について猪木さん...

アントニオ猪木が語る〝劇画界の巨星・梶原一騎との本当の関係〟

over 3 years ago

【梶原一騎との微妙な蜜月】 ──アントニオ猪木vs.ウイリー・ウイリアムス戦(1980年2月27日/東京・蔵前国技館)の仕掛け人は劇画原作者で格闘技界のフィクサーとも呼ばれた梶原一騎さんでした。梶原さんとの関係について話していただけないでしょうか。 猪木 俺は梶原さんとはほとんど付き合ったことがないんだ。ウイリー戦も、その後のタイガーマスクの件も、...

1995.12.30『突然卍固め』特別インタビュー

over 3 years ago

『突然卍固め』(1995年12月30日・大阪城ホール) パンフレット掲載インタビューより/聞き手 木村光一 【高田には夢を取り戻してほしい。だからパートナーに選んだ】 ──まさか高田延彦選手と猪木さんの師弟タッグが再び観られるとは思いませんでした。なぜ、パートナーに高田選手を指名したのでしょうか? 猪木 そうね、東京ドームで高田が武藤に負けて、あのまま消えちゃったらあまりに寂しいとね…。あれ...