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YAMASHITA SUMITO

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Latest posts

Last updated 3 days ago

LABノート 04回

3 days ago

2026年1月、東京ラボ、2日目1日目もそうだったのだけど2日目もわたしははじまる何分か前、2分前とかに「コ本や」についた。いつもはもっと早くに行って、参加者が来るのを待つのだけど、早くに行って待ってる間に疲れてしまうことに気がついた。何もしてないのに疲れる。ギリギリに行けばいい。疲れなかった。しばらくそうしてみる続きをみる

LABノート 03回

8 days ago

ラボをサッポロで再開して東京でも、となったのは2024年の夏。その前の世田谷の楽ちん堂カフェでやっていたとき来ていた若者、今は自分たちで劇団(でいいいのかな)「Dr. Holiday Laboratory」を立ち上げた山本伊等に「やりませんか」と声をかけられてはじめた。1回目は「水性」という中野にあるスペースで。2回目からは東京でのわたしのあれやこれやのホームになりつつある神楽坂の「コ本や」で。今回もそう。コ本やのボスはわたしの最新作である『わたしハ強ク・歌ウ』の本作りの全部を指揮してくれた青柳菜摘。10年ほど前、彼女のはじめての個展のときの対談の相手にわたしが選ばれた。青柳菜摘がわたしを選んで突然メールが来た。誰だかわからずしかしわたしはその唐突がおもしろく受けた。会って一撃で気があった。気があったとしかいいようがない。モノ作りが好きで放っておくとずっと食事もそこそこに、ときどき寝たりしながら、蝶々が来たら追いかけて迷子になりつつ延々やっている少女。『わたしハ強ク・歌ウ』を本にするとき編集者イワモトにわたしは青柳菜摘を本作りの係に提案した。あの本は青柳菜摘か仕切り「コ本や」チームが作った。ちなみに青柳菜摘とラボの制作である「ちさぞう」は生年月日が同じだラボ1日目の前の日のサッポロのポストマン続きをみる

LABノート 02回

about 2 months ago

日曜日昨日ほどは寒くない、というか暖かい。こうして寒い寒い、暖かい、寒い暖かい、を繰り返して、寒い寒い、寒いすごく寒いものすごく寒くなっていく。夏は暑かった。冷房なんか必要なかった土地だったのに今は冷房が必需品となりつつある。わたしの部屋には扇風機しかない。網戸もないから窓をあけていると虫が来るからオニヤンマくんを吊っていると虫が来ない続きをみる

LABノート 01回

about 2 months ago

ラボについては短編やエッセイ、ツイッター(X)等あちこちで書き散らかして来た。まとめて書き残しておきたいと前から思っていた。ラボについて書けば小説のこと、演劇、演技、絵、わたしにとっての「創作」すべての話になる。生き方そのものだ、ということにもなる。しかし「生き方そのもの」といういい方は何もいっていないのと同じでもある。直近の振り返りからはじめる。チェックする人がいないのでたぶん誤字脱字間違いはあります続きをみる

『わたしハ強ク・歌ウ』制作振り返りノート 09

9 months ago

 このノートもほぼ連日書いて8回書いた。たかが8回で振り返りがおさまるはずもないが三年書いていたのだから。しかし当初の目的であるコ本やでの連続ゴールデンウィークイベントまでに、は、果たした。 何度も書くがそもそもは編集者イワモトが「編集日誌」を書く予定だった。しかしやつが書かず「書けなかったんです。忙しかったからかしら」とかいい「書いて!かわりに書いて!」といった。 編集者が作家に書け、というときは知らない人はわからないだろうが「仕事」であるから原稿料が発生する。当たり前だ。 しかしこれにはそんなものはない。 書いてよ、で終わりだ。わたしの仁義で成り立っている。そのわりに書いたところでやつからの反応はとくにない。先日会ったら大酒飲んで調子よく酔っ払って、他社の編集者と楽しそうに語らっていた。わたしの肩をバンバン叩いて「ね!ねー!」と何が「ねー」かわからなかったが笑っていた。イワモトの声は弾ける系で、鼓膜に直接当たる。それにやつは水球をやっていたから肩幅が広い。 わたしは酒は飲まない。わたしは空手をやっていたから戦えばいい勝負をするはずだ。 今日は飯田裕子さんが「精読」するらしい。明日は山本浩貴さんと龍村景一さんとわたしとで話す。10日は職人たちが集い話す。わたしはともかくそれぞれ何を話すのか、話されるのか楽しみだ。続きをみる

『わたしハ強ク・歌ウ』制作振り返りノート 08

9 months ago

 前回の書き出し。 『アンネの日記』がこの小説に大きな影響を与えていると気がつくのは書いて、書き終えて、しばらく経ってから、というか今もわたしがはっきりとそう自覚しているわけでもない。 何だそれは。 『わたしハ強ク・歌ウ』制作振り返りノート 07続きをみる

『わたしハ強ク・歌ウ』制作振り返りノート 07

9 months ago

 『アンネの日記』がこの小説に大きな影響を与えていると気がつくのは書いて、書き終えて、しばらく経ってから、というか今もわたしがはっきりとそう自覚しているわけでもない。 何だそれは。 小説の中にたくさん出てくる「ノート」という言葉が「日記」に重なるとすら思ってなかった。今もピンと来ていない。「ノート」と書いていたのだから「ノート」だ。「日記」なら「日記」と書いていた。これは何か強い何かに思うが、掘り出す気も、押す気もない。日記でいいです。 作者が作品のことを「わかっている」というのは幻想だ。続きをみる

『わたしハ強ク・歌ウ』制作振り返りノート 06

9 months ago

 ゴールデンウィークに本作りのチームの本拠地である東京神楽坂にある「コ本や」という場所でイベントをやる。まだ現時点では詳細は出ていないが、あれこれ企画され、間もなく発表される。そう書きつつ今日告知されるといっていたから待っている。されたらリンクするつもりで待っているのだがまだされない。された。続きをみる

『わたしハ強ク・歌ウ』制作振り返りノート 05

9 months ago

 「親子が旅をする」が「場」になりはじまったこの小説の冒頭は、当初は「01」がなく「02」からはじまっていた。 もちろん「02」とはせずそれを「第一章」としていた。 本にある「01」はのちに書き足されることになる。 当初の冒頭であった「02」は、本の中ではこうなっている。 前の晩は九時ぐらいに寝て次の日の昼前の十一時すぎにママとママのパパは起きた。すぐに昼になりお腹がすいたので電子レンジで熱くした白米にレトルトカレーをあたためずにかけて食べた。パパは二杯食べたとママは書いていた。クィルは四杯食べて五杯目はがまんしたとママのパパは書いていた。 『わたしハ強ク・歌ウ』・ 「02」冒頭続きをみる

『わたしハ強ク・歌ウ』制作振り返りノート 04

9 months ago

 ここ(note)に以前書いて公開していた『わたしの小説のやり方』というのがあったが閉じた。 閉じたのは、「もっと丁寧に書いた方がいい」と思ったからで、手を入れ再び公開しようと思っていた矢先にこれがはじまってしまった。 そこに「場」とわたしが適当に名付けたものについて書いていた。 「場」というのは俳優でいえば「役」みたいなもので、それがあるから動きはじめられる。 しかし「場」については誤解もされた。誤解される程度の書き方だったのだともいえるから一度閉じたのだ。 「場」など関係ない、「役」なんかいらない、そんなものは無しで自由自在動き回るのだ的な誤解。 誤???した人はみんな一度「観客」の前に立ってみたらいい。何だっていい。何だっていいから「他人の前に立って何かしてみる」。何かするためには拠り所がいる。何もなくても「からだ」はいる。からだが拠り所ならそれでいい。「からだ」だけを拠り所にして何かしてみたらいい。座ってさえいられないのがわかるはずだ。困ったぞ、からだを拠り所にするための拠り所がいるぞ、何だなんだ。そのとき召喚されるものがわたしが「場」と呼ぶものだ。 『わたしの小説のやり方』で「場」といういい方をはじめてしたときのものを再掲する。はじめて小説を書こうとしたときのことを書こうとしていた。改行、「」等手を入れた。 とにかく書きはじめてみなければ何もはじまらないので書きはじめてみるのだけど、わたしにはそのとき、というか今も、書こうとするものは小説ではあるが、いわゆる「小説」と呼ばれるものにはならない、なれない、という自覚だけはあった。しないぞ、という自覚といってもいい。 それは劇とほとんど同じだった。わたしは俳優としての訓練はそれなりに受けて来てはいたが、それはたとえば発声。舌の使い方。からだの仕組み、どう動かせるのか、どう動かせば外からどう見えるのか。ダンス。リラクゼーション。思い込み。何千人もの他人の前でひとりよがれる図太い神経。それらイロハを叩き込まれた身体だけを頼りにわたしは劇へ向かった。字も書かずにいた身体で。レンガ職人がその技術しか知らないまま神社を建てるようなものだった。 となればわたしは神社をそれまでのものとは違うものとして考える必要があった。宮大工の技術はないのだそうするしかなかった。神社とは何か。御神体、とは何か。 だからまずは題材は何でもよかった。わたしの思うやり方の「場」にさえそれがなればいい。「場」になるかならないかだけが重要だった。...

『わたしハ強ク・歌ウ???制作振り返りノート 03

9 months ago

 イワモトからの言葉を引用し、それがコロナのときで、とわたしは「02」に書いていたのだが、はじめてこの作品について行われたイベント、北海道の札幌市琴似(コトニ)にある「ラボ」(の説明は今はしない)の本拠地レッドベリー・スタジオにおける、イワモトとの刊行前対談『山下澄人によるラボ番外編』によると、「02」に書いたようなやり取りが行われたのは「コロナ前」と話していて、「2019年」と話している。 動画の6分あたりでそういっている。「02」に書いた冒頭は間違えていた。 というかこの回の4分45秒あたりでイワモトは「まだ本にするための企画会議に出していない」といっている。 刊行前の会どころか、刊行されるかどうかわからない段階の会、だったのだこの会は! 思い出したら腹が立つが、だってこのためにあれこれ手配し、東京でではなく、小説の舞台である北海道で、にしよう自腹で、としてやったのだ。本になると思って、本になるからと思って。今腹を立てても仕方がない。それに今のイワモトに腹を立てているわけではない。動画の中の、去年のイワモトに腹を立てている。 ということは書き出したのがその次の年の2020年。2020年といえばその春、夏目漱石『明暗』を読んでいたら黒い便が出て、何だろうと思ううち、立てなくなり、とても変だし病院へ電話して状態を話したら救急車を呼べというから呼んだ。 『明暗』は穴が腸まで届いていると医者にいわれる場面からはじまる小説で、夏目漱石はそれを書いている途中胃潰瘍で死んだ。まさか胃潰瘍だったりして、と思っていたら胃潰瘍だった。死ぬのか。 救急隊員が「昨日(といったように記憶している)子どもが生まれて名前が澄人なんです」といった。「え」とわたしは身を起こして救急隊員の顔を見た。不吉だ。隊員は若い人だった。 死なずに二週間ほど入院している間にコロナの騒動がはじまっていた。 わたしは騒動に乗り遅れた。乗り遅れたまま今に至る。 当時は『FICTION』とタイトルをのちにつけることになる短編集の短編と、『君たちはしかし再び来い』とタイトルをつけることになる短編集の短編のどれかを書いていた時期で、病院でも書いていた。 そのような状態で、イワモトから来た【現実にしっかり生きてる人たちが、世の中の暴力を前にして逃げることなく、でも直接真正面からぶつかることもせず、be...

『わたしハ強ク・歌ウ』制作振り返りノート 02

9 months ago

 四年前だから2021年でコロナ騒ぎの真っ只中で、マスクをしていたように思うが思い出せない。用もないのに外に出るなといわれていた頃だったはずだがわたしたちは韓国料理屋にいた。用があったのだ。お前らの打ち合わせなど用とは呼ばない、といわれたらすいませんと穏やかに頭を下げて、「それでさ」と話を続けていたはずだ。マスクもせず。しかしわざとじゃないから直せない。 あれだけの騒動をたった四年で忘れてしまうのだから、世間は忘れっぽいという気はない。忘れているのはわたしだ。「ブルース・リー物語というのはどうですか」 とこのときイワモトがいったのは有名な話だ(どこで)。わたしは何度もこの話をしすぎている。しすぎて嘘のように思えてくるが嘘ではない。ただあまりにも「形」になりすぎている。ほんとうなのだが胡散臭い。 わたしはブルース・リー(李小龍)が通じない日が来るとは思ってなかった。今の若い人たちの中でいえば誰だろう「大谷翔平」だろうか。大谷翔平といっても通じない日が来ると思えますか。来ます。健全な世界ということだ。   何とかリーって誰ですか、といった人がいた。年寄りなら「カマトトか」となるが、 カマトト、が通じるとは思えない。知っているのに知らんふりして人の気を引く面倒なやつのことを昔はそう呼んだ。 若い人は当たり前に知らない。しかしそのときそのことに気がついているわけではないから、気がついていたとしてだから何だ。「いいやん」とか何とかわたしはいった。 ちなみにブルース・リーというのは俳優で武術家で、アクション映画で一世を風靡して、当時の子どもはみんな真似をした。「みんな」というと「わたしはしなかった」という人がいるが、げんにいるが、それは今はいい。YouTubeにもたくさんあるから興味がなくても見てみてください。空手ブームになり、今の総合格闘技につながったのも忘れられているが全部彼のせいだ。おかげ、か。世界を変えたという意味ではある意味ベケットより変えた。昔カナダへ公演に行ったとき、トロントからバスで数時間、高い建物の何もない田舎にホームステイをしたのだが、そこにいた子どもにブルース・リーの真似をしたらとても懐かれた。馬に乗せてくれた。 あれを書こうとはじめたのです。 わたしはまず子どものときから好きだったブルース・リーから離脱しなければならないなと考えた。小説にするならそうする必要がある。しかしそれはどういうことだろう。 わたしは何冊もブルース・リーの本を読んだ。骨格となるのは若くして、32で死んだ彼の生まれてから死ぬまでの軌跡だろう。だいたい知っていた。わたしが知っていたようなことは、好きな人なら知っている。そこをまた擦っても、仕方がないという前にわたしが書き進められないだろう。しかしやってみよう。止まるまで書いてみよう。 書いてみたがもちろんどうにもならなかった。好きなように書くことと好きなものを書くことは違う。好きは好きでも好きの場所が違う。どのどれがどの「好き」で、この「好き」がどっちの好きなのかやってみなければわからないのだが、おそらくわたしが拒否していたのだ。ここを読み間違えると「小説」は跳ねない。このことはいずれ書かれるだろう。...