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ankeiy’s diary

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Last updated about 2 months ago

世の中は事業のタネで溢れているという件について

about 7 years ago

私が初めて日本代表を国立に応援しに行ったときには、客席に数百人しかいなかったんですよ。それに比べればどんなに盛り上がらないワールドカップも私の中ではいつも吉野家の牛丼特盛。なかなか勝てないサッカー日本代表が叩かれていますが、人それぞれ、まあ、様々な思いがこの4年間にあって、言いたいことは山ほどあるでしょうが、今週はもうワールドカップロシア大会の開幕ですよ。みなさん、せいおっぱい、いや違う違う、精一杯、応援していきましょうw久しぶりにブログを書きますが、サッカーの話ではありません。今日は事業を起こすということはどういうことかというお話です。なぜこんなことを書くかというと、いまうちの会社でビジネスコンテストをやっているんですが、参加する人に少しでも頭を使って考えてもらおうと、私が主催で社内勉強会を開きました。先日。それで、せっかくだからその話を少しブログにまとめて、事業企画で悩んでいる人に少しでも参考にしてもらえればと思ったからです。 マーケティングのたとえ話に、「ドリル」と「穴」の話がありあす。これは聞いたことありますよね。「顧客はドリルが欲しいのではなく、ドリルで開けた穴が欲しい」という話です。ドリルメーカーはドリルを売るために一生懸命努力をする。例えば性能を上げたり、デザインを良くしたり。販売方法を考えたり。ところが、このドリルを買う顧客はそんなことはどうでもよくて「穴さえ開けばいい」と考えている。このミスマッチがマーケティングを失敗に陥れるというわけです。ありがちな話ですよね。 だから、マーケティングを志すものは、自分たちの都合や思い込みで商品を作ったり売るのではなく、顧客の声をしっかり聴いて顧客が望んでいることを実現しなければならいという戒めのような話なわけです。この話をもう少し突き詰めていくと、マーケティングから事業の話に変化していきます。 いいですか。顧客がドリルで開けた穴を求めているということに、気づく人がいれば、こんな事業が誕生します。「そうかドリルを売る必要はないな、貸し出そう」ドリルレンタル事業の誕生です。「顧客にドリルを渡す必要はない。穴を開けに行こう」と思えば、「ドリル穴開け」サービスの誕生です。 さらに、顧客の一人がこんなことに気づくかもしれません。「ドリルの穴を開けるなんて、1年に一回あるかないかだな」と。じゃあ、ドリル穴開けサービスなんて利用しなくても、ドリルを持っている人が近所にいればそれを借りた方がいいな。ドリルを貸してくれる人のリストを作ろう。こんどは「ドリル・シェアリング」サービスの誕生です。このように、穴を開けるためのドリルを売るという行為は、「穴が欲しい」という顧客の求めているの価値を本質的に捉えなおすことで、新しい事業を生み出していくわけです。さらにですよ。そもそも論で言いますと、そもそも、ドリルの穴は何のための必要だったのか?という話になります。家具を組み立てるために必要だったのか?家に配線するために必要だったのか?その利用の目的があるわけです。今度は「穴の向こう側」ですよね。もし家具を組み立てるための穴を求めているなら、ネジで止めずに組み立てることができる仕組みを考案すればそれは事業になりますし、極端な話、家具そのものを売ってしまえば、そもそも組み立てる必要すらなくなるじゃないか。そう、この話は無限に広がっていきます。たった一つのドリルの穴からこんなにも様々な事業やサービスが生まれる可能性があるのです。 その起点になるのが「本質的な価値の捉え方」です。 先日こんな話を聞きました。天体望遠鏡メーカーの話です。高い技術力で天体望遠鏡の高いシェアを持っている会社ですが、市場がなかなか広がらない。危機感を持った社長さんがうちは「星を見せる会社である」と宣言をしたそうです。この宣言によって、この会社の優先順位は大きく変わります。「人々に星を見せるにはどうしたら良いか?」という新しい価値観の導入によって、性能の良い天体望遠鏡を作ることよりも、星を見せる場所にどう人々を連れてくるか?とか、どう興味を持ってもらうか?というこの方が優先順位が高くなるわけです。またこの価値観を持ち続けるということは、ファンを増やし、天体望遠鏡の購入者が増え、自然と市場が広がっていくことにつながる。この新しい価値の発見は、まさに新しいユーザーの発見であり、新しい事業の発見だったといえるわけです。 こんな感じで、今まで頑なに「ぜったいこうあるべきだ」と考えていたことが、ある日、ふと「いや待てよ。本当はこうじゃねーか?」と、新しい価値観に出会うことで、まったく新しい事業が生まれるわけです。 もう少し、みなさんが良く知る事業で、どんな新しい価値の発見があってその事業が生まれたのかを考えてみましょう。例えば「ライザップ」です。「ダイエット×ジム」で一躍急成長し、大きな市場を作りました。今ではこのビジネスモデルで新規参入する事業者が後を絶たないよですが、このビジネスが始まった時の市場状況を考えてみると、「ダイエット」はあらゆるダイエット法が本になり、メディアで情報が垂れ流され、完全にコモディティ化しており、面白みも何もない市場です。ジムも既に街中に乱立している感があり、従来のやり方では飽和市場に見えていたと思います。何年かに一度、ダイエット法で一時のブームを作り出すことはできても、まさかライザップのように継続的な新しい市場を生み出せるとは誰も考えてなかったのではないでしょうか。そこへ「結果にコミットする」という価値を引っ提げてライザップが参入するわけです。「痩せることに成功したら費用をいただく」という成功報酬型のダイエットサービスだから上手くいったんだと、今だから言えるかもしれませんが、誰でも考えるかもしれないこのアイディア、なかなか実行に移せないですよね?。だってみんな途中であきらめてしまいそうだし、思うように痩せない人多そうだしwそれでは創業者の瀬戸さんはどんな価値の発見があって実行に移せたのでしょうか?それは、「ダイエット」を「自分で立てた目標にもっとも手軽にたどり着ける”自信”を手に入れる行為である」と置???換えられたからだと思います。人はいつも弱い。自分で目標を立ててもなかなかそれをクリアできない。ダイエットはその中でもっとも簡単にクリアできる目標の一つであり、自分の見かけが変わることを目に見えて実感できる。目標を達成する素晴らしさを体感できる。そして「私にもできるんだ!」という自信を手に入れることができる。だからこそ「うん十万円」という費用を出しても、この自信が買えるなら安いものだと考える。この価値の発見がライザップという事業を産んだのだのではないかと思います。実際、ライザップは急成長したがゆえに様々なメディアに叩かれたりするのですが、まったく需要が衰えませんでした。いまだに価格競争に陥る気配もありません。それはなぜか?(もちろん結果を見せるCMも効果的だと思いますが)それは体験者である顧客が「自信」を手に入れて、ライザップの良さを周りに伝えて、支えているからじゃないかと思います。「私はやり切ったんだぞ!」という思いは、やがて友人や家族に「あなたにもできる!」という自信の輪になって伝わっているのです。 次に、誰も知っているユニクロについて考えてみましょう。飽和消費社会、人口減少社会である日本では90年代後半からファッション市場が縮小し続けてきました。アパレルメーカーが次々に没落していく中、なぜユニクロは躍進、成長したのか考えてみましょう。今でこそ安いし、品質も良いし、お店も全国津々浦々にあるし、売れて当たり前でしょうという感じですが、ユニクロが成長した過去20年の歴史はそんな生易しいもではありません。アパレル苦戦の時代の中で創業者の柳井さんはどんな価値を発見することで事業を拡大できたのでしょうか?最大の発見は、「ファッションは高所から提案するものでなく、消費者に同じ目線で選んでもらうもの」ということではないでしょうか。ユニクロが登場するまでの日本のアパレル産業はデザイナーズブランドやハウスマヌカンに代表されるように、ファッションリーダーが庶民にいち早く流行をキャッチして、提案してやっているんだよ感が満載だったと思います。「俺たちの言うことを聞け」的な状況は、消費者が店舗に入ることすら躊躇させるくらいお高くとまったものでした。それを柳井さんは、店頭にずらっと衣類を並べて、あたかも日用雑貨を選ぶように消費者に自由にファッションを選べるようにしたのです。「ファッションは特別なものではない。コモディティである。だとすれば売り方も雑貨屋と同じでいい」という新しい価値観の発見ですね。ユニクロやその後日本に参入してくるファストファッションにとって都合よかったのは、デパートの高所ビジネスとアパレルメーカーがべったり癒着していたことなどもありますが。(いまだにデパートでは入りずらい雰囲気の店ありますよねw) もちろん、柳井さんの発見はそれだけではなくて、ヒートテック、エアリズムのよう「服に機能を持たせる」ということや、製造から販売まで一貫して行うSPA体制や様々あるわけですが、ユニクロのビジネスモデルの根底には「ファッションはコモディティだ」という価値観が脈々と流れているわけです。後から振り返ると、「そんなの当たり前だよ」と思うことも、ちょっと想像力を働らかして、その時代の市場や時代背景を考えてみると、その当時にそんな新しい価値の発見が良くできたなと思える。そこに事業の起点があるわけです。 アパレルの話をついでにもう一つ。何かと話題の前澤さん率いるZOZOについて考えてみましょう。ZOZOはアパレルECモールとしては国内で不動の地位を築いています。そして満を持して登場してくるのが、プライベートブランドです。販売チャネルをコントロールできるようになったわけですから、次は当然PB商品を作り、さらにZOZO商圏を堅牢なものにしようと考えるのは当然の流れです。流行もいち早く取り入れられるし、利益率も高いですし、価格のコントロールもしやすい。なによりファストファッションはみんなそういうビジネスモデルなのですから。しかし、前澤さんは単純にはZOZOブランドを出さなかった。世界の一流デザイナーとコラボするとか、企業や大学の研究室と共同で新素材を開発するとか、ユニクロのようなアイディアは当然あったと思います。ところが、皆さんもよくご存じのZOZOスーツの提供というまった新しいアプローチに踏み切った。ここが起業家としての前澤さんのすごいところで、新しい価値の発見がないと、事業としてうまくいかないことが良く分かっている。例えそれがリスクが高くても。起業家の性のようなもなんでしょうね。この場合、従来は「サイズはメ???カーが決めていた」というのを「サイズは自分で決めるもの」への新しい価値観への転換です。従来の価値観を180度移動させるわけですから、すごいことですよね。しかもデータによる新しい商習慣はネットに販売チャネルを持っている強みを最大化するわけですからね。...

なぜTwitterで拡散するのか、その構造について

over 7 years ago

ひどいドライアイでブログなど書けないというのもありますが、書かないとほんと書かなくなっちゃいそうなので、たまには書いています。Twitterでバズったツイートがあったので、そのツイートがなぜ拡散するのかということについて少し考えて、SNSで情報を拡散したいと考えている人たちの少しは参考になればいいと思います。今回取り上げるツイートはこれです。 12月7日の朝投稿され4日経ちましたが9.4万リツイートされて、12.2万いいねされていますね。 詳しいアクテイビティは以下とおりです。 864万インプレッション発生して、36万7500回のなんらかのアクションが取られたということですね。1ツイートとしてはなかなかの数字ですが、興味深いのは13万4000回も詳細表示がされているということです。これは(よくわかりませんが)このツイートについた、リプライを確認しているんだと思います。実際、リプライの中にはそれ単体で1万リツイートを超えているものもあり、バズったツイートの返信もそれなりに拡散されて、その拡散からまた本家のツイートにユーザーが還元しているのではないかということも想像できます。プロフィールのクリック数は14300回、だいたいこのツイートはどんな人がしているのだろうと確認しているんだと思います。これも推測ですが、だいたい10人に一人くらいが発信元の信頼性を確認しているんじゃないでしょうか。プロフィールを確認して、私をフォローしてくれた人は、なんとたったの23ユーザーw。プロフィールを確認した人の0.16%です。もっともぼくのプロフィールは「犬好きです。猫好きです。美術史好きです」というわけのわからないものですから、これは仕方ないですね。???ォロワーを増やしたい人は、やはり「叔母がプーチンの奥さんの姉で、叔父がビルゲイツの奥さんの弟です」くらい書かないとダメでしょうねw 前置きはさておき、本題の「なぜこのツイートが拡散されるのか」ということについて考えましょう。 まずは、このツイートの前提となるのは、NHKの受信料が合憲か違憲かの判断が最高裁であった翌日にされたものであるということが大きいことは言うまでもありません。みんなニュースで知っているし、Twitter上でも「#NHK受信料」のタグが話題になっていたんだと思います。次にこのツイートは「NHKから未払い受信料30年分の請求が来たら」と実際にはありえそうもない例え話から始まっていますが、みんなの心の中に、受信料が合憲だとすると「今まで払っていなかった人はどうなるんだ?」という共通の疑問があったのだともいますが、まずはそれにヒットしているわけです。そもそも、30年前からNHKを見ていたことのエビデンスを取らなければならないのでNHKが実際そんなこと出来ないと思いますがw。次にその皆さんの心配について答えを書いています。民法の消滅時効を持ち出しています。時効の消滅を宣言すれば、受信料は5年分で済みますが、しなければ30年取られますよというように、少し脅し気味に書いています。これは実際NHKの受信料に当てはまるのかどうか、受信契約の概念が問われるので実際にアクションをしてみないとわかりませんが、新聞社も書いていたので、たぶんこういうことになるんだと思います。この答を見た人はどう思ったかというと、「なるほど!」と同時に「知っている人は得をして、知らない人が損をするって不公平じゃねーか」となります。しかも相手は天下のNHKです。ここで巨大権力への怒りがむかむかと沸いてきますw。過去に自分がNHKから受けた理不尽が一気に噴出ですw議論はそもそもNHKが必要なのかどうかまで広がります。実際リプライもそれ系が多くついてくるわけです。最後の「知識ってやっぱり大切ですね」という一言も拡散には欠かせません。情弱という言葉をみな自分に当てはめることを恐れているとともに、そうだ「これは、みんなに教えてやらなきゃいけない情報なんだ」という善意をくすぐることになります。これは直接リツイートにつながっていくわけです。 さて、それではそろそろまとめます。拡散するツイートの秘密は、 1.旬のニュースに絡める 2.たとえ話で共通の疑問をくすぐる 3.疑問の答えを意外な方向から持ち出す 4.巨大権力にたいする不平不満を引き出す 5.「みんなに知らせないといけない」と思ってもらう...

「消費者は再びモノを買うようになるのか?」という話について

almost 8 years ago

久しぶりにブログを書いてみます。というのも、だいぶドライアイが改善したからです。ありがとうございます。ということで、早速ドライじゃない目線で書き綴ってみたいと思いますw。さてさて、旅行とかリフォームとかわりと堅調なようですけど、やっぱり個人消費がぱっとしないようです。ニトリの創業者、似鳥昭雄さんも「個人消費が腰折れしている」とおっしゃっていますが、最近はあの小売業の勝ち組「しまむら」ですら苦戦しているというニュースが流れてきました。日銀は2%の物価上昇目標を先延ばしにばかりしていますが、現実的にモノが売れないと困る企業は、イオン、セブン、無印、ユニクロなどなど、未だに低価格化路線をひた走ります。賃金が少し上昇していている中で企業努力で価格を下げてくれるわけですから消費者としてはありがたい限りですよね。企業としては苦しいですね。政策的に値上げされた酒類にはそっぽをむくなどなかなか手厳しいですよ。消費者は。そんなわけで本日は、なぜモノが売れないのか、何が消費社会で起きているのかということを少し考察をしたいと思います。1.モノ余りだからモノが売れない これは確かにそうですよね。日本人のほとんどが欲しいものを手に入れてしまった。大量生産大量消費時代は終わったということですね。2.将来が不安だからモノより貯金 健康寿命がどんどん延びている中で、年金はあてにならないし、どうやって老後を送ろうかと考えると、消費なんてしてられないですよ。やっぱり貯金でしょ。これは高齢者中心に確実にありますね。3.通信料負担でモノが売れない ネットやスマホの通信料の負担が家計にのしかかりその分、みんな節約している。これも確かにありそうですよね。スマホ関連に月額2万円くらい使っている人は若い人を中心にいそうですよね。最近は格安スマホも普及しはじめていますがね。4.欲しいものがないから買わない 企業努力が足りないというやつです。ちゃんとマーケティングしてくれれば買ってやるよ。ほら、iPhoneとか爆発的に売れたでしょという話ですね。まあ、これはいつの時代でもありますよね。5.コト消費のためにモノは買わない。 世の中、「インスタ映え」時代です。やっぱりインスタできるレジャーを楽しまないとね。モノなんて買っている場合じゃないですよ。これも若年層を中心にありですよね。6.モノを持つことがダサい 時代は断捨離ですよ。スマホ一台もって世界を旅するのがおしゃれなんだよね。高級車やら宝飾品やら買い込んでいるのはダサいですよって。まあ、時代の空気としてありかもしれませんね。 細かい話を上げればきりがないんですが、この6つの切り口は良くニュースなんかにもなりますよね。それで、このモノが売れない時代を象徴しているのが、デパートの凋落なんですよね。ここ数年ずっと売上が右肩下がりです。地方のデパートなんてどんどん閉鎖されてもいます。デパートの業績が厳しい最大の原因は、アパレルが売れないことです。今まで売り上げの7割近くをアパレルに頼ってきましたからね。アパレルがダメになると一緒にダメになるという構図です。昨日、7月の最終日曜日に新宿伊勢丹を覗いてみたんですけど、日曜日、夏休み、セールとかなりスペシャルな日のはずなのにアパレル売り場には人混みはありませんでした。まあそういう時代なんでしょうね。じゃあ、ユニクロやしまむらが人気なのかというと最近はそうでもないというわけです。しまむらで買い物することを楽しんでいた「しまむらー」と言われる人たちも最近は勢いがないらしいのです。アパレル全体が厳しいんですね。やっぱりモノが売れてないわけです。唯一、売上を伸ばしている分野はネットなんです。ZOZOは破竹の勢いで業績を伸ばしていますし、アパレルメーカーもネット直販に力を入れているんですが、リアルの落ち込みはぜんぜんカバーできないという状況です。もうみんなファッションに興味なくなっちゃったんですかね?。この小売業界が厳しいという話は、日本だけじゃなくて米国も同じらしいんですよね。先日、こんなニュースが流れていました。「アマゾンではなかった。アメリカの小売業を低迷させた2つの元凶」(Business Insider)記事の内容を要約すると、米国のデパートをはじめとする小売り業がバタバタと閉鎖や破産に追い込まれているがこの理由は、一般的に言われるネットに消費を奪われたということでなく(なぜなら全体の小売市場に占めるネット消費はまだ8.5%程度でそこまで大きな影響はない)、原因はほかにある。一つは過剰出店、需要を完全に読み違えている。そしてもう一つは、消費態度の変化、人々はモノよりコト消費に走っているという話です。米国は人口がまだ増えていますし、経済成長も日本を上回っている、というか、米国の消費が世界経済をけん引しているといってもいいはずなのに、やっぱり小売業は困っているってことになると、日米で共通にある現象が「モノが売れない原因」として、とても怪しいですね。やっぱりキーワードは「コト消費」であり「インスタ映え」ってことになるんでしょうね。ここ10年あまりで消費社会に大きなインパクトを与えたものが「スマホ」と「SNS」であることは間違いないです。そしてこれは根底を流れる小売業のリアルからEコマースへのシフトという現象よりも、「速く劇薬的に社会の消費のあり方を変えている」と考えざるをえなくなります。ストレートに言うと、SNSでつながっている人たちに自分の生活を自慢したいアピールしたいと考えると、消費者が向かう先は、モノではなく完全にコトなのです。モノはSNS上ではなかなか自慢しずらいのです。レストランや旅行、スポーツそれはイキイキとした自分の生活を嫌味なくみんなに知ってもらうために格好の小道具となっているわけです。 ちょっと話がずれますけど、ぼくが若かりしころ、デザイナーズブランドブームというのがありました。なんだかよくわからないでけどみんな狂ったように新鋭のデザイナーブランドの服を買い、身にまとったものです。日本は単一民族でマスメディアが行き届いているからブームを作りやすいといいますが、まさにとんでもないブームでした。でも、あとから何であんなに熱狂したんだろう?と考えてみると、ブランドの服を着て学校や職場で友人知人に自慢するというのもあっただろうし、合コンやデートで異性に自慢するというのもあっただろうけど、「そのデザイナーブランドをを買う行為そのものがカッコ良かった」んだと思います。つまり、当時はショッピングそのものがアクティビティーでありコト消費だったわけです。振り返って、いまショッピングすること自体がコト消費になっているものありますかね?ブランドショッピング?ピンときませんね、みんなの憧れのモノであるはずの自動車?あまり胸躍らないでしょw、それを買う行為そのものがかっこいいことってあまりないんですよね。唯一アップルの新製品を買うとか、村上春樹の新作を買うとかいう行為にはそんな匂いが残っているかもしれませんw。つまり、モノが売れない理由はモノそのものに魅力がなくなってしまったというよりも、モノを買う行為そのものの魅力の欠落、モノとともに存在していたコトを失ってしまったことにあるのではないかと思います。 さらにSNSが普及することで、消費者がコト消費にむかうと、タイムシェアにも大きな影響が及びます。まったくコト消費的な魅力を失ったモノのショッピングを消費者は邪魔者扱いしはじめているわけです。つまり「お店に行って買い物する時間がもったいない」ショッピングの時間を節約して、その時間を「インスタ映えすることに充てたい」そう考えて、人々はEコマース(ZOZOやメルカリ)にシフトしている気もするわけです。Eコマースの普及は便利で手軽だからという必ずしも前向きな理由ばかりではないということです。少し後ろ向きなコトのための節約術なのですw。 大量生産時代を揶揄したデュシャンだったらインスタ映え消費をどう芸術にするのかwなんかダラダラと書いてきましたが、そろそろまとめます。「消費者を小売店にもう一度呼び戻すためには何をすればいいのか?」と考えれば考えるほど、そのために新しいブランドや珍しいモノをいくら取り揃えてもダメじゃないかと思います。ショッピングそのものが自分の生活をいきいきと表現でき他人に自慢できるコトの要素を持たなければその復活はないんじゃないかと思います。ぼくはデパートの催事が大好き少年でした。特に今も印象に残っているのはアポロが月面着陸したと年に、全国を巡回していたアポロ展で月の石を買ったことです。絶対偽物だと思いますwでもその石ころを握りしめて、月を眺めたものです。自分が月の上を地球の重力の1/6で移動している姿を想像したものです。すばらしいショッピング体験でしたw小売店の皆様にはぜひ「インスタ映え」に負けない素晴らしい付加価値のある物語を紡いでいただいてぼくらをワクワクさせていただきたいと思います。最後に、スマホの使い過ぎのみなさん、ドライアイにはくれぐれもお気をつけください。

クロネコヤマトの苦境を「創業者、小倉昌男さんだったらどう考えるか」という長いタイトルの話

over 8 years ago

クロネコヤマトの宅配便が苦しんでいます。ネット通販が成長する中で、特に昨年はアマゾンの躍進もあり、宅配市場の取り扱い個数が6.4%もアップしたそうで、年間総貨物個数は38億個にもなっているそうです。需要が加速しているんですね。最大手のヤマトホールディングスですら「急成長」「人手不足」の中で相当苦戦しているようです。市場が拡大するというのはビジネスとしてはうれしい悲鳴なんでしょうけど、急激な変化に組織も仕組みも対応しきれていないというのが実情のようです。 実際ヤマトホールディングスの2017年3月期の1月〜12月までの決算を見ると、売上は1兆1181億円と前年より3.1%伸びているのにもかかわらず、経常利益は583億円と前年より8%も減少してしまっています。4割を超えるシェアも若干落としてしてまっているんですかね。それで、これから宅配市場どうなるのかというと、日本の商取引に占めるEコマー???の利用率ってのはまだたった5%前後、これからさらに増加することは間違いなく、この急拡大はしばらく続きそうなんですよね。未来においては大規模物流拠点のロボット化や自動運転、あるいは地域住民を活用したシェアリングサービスなどテクノロジーやスマホの能力をフル活用して、生産性の大幅な改善やイノベーションが待っているんだと思いますが、しばらくは大変な状態が続きそうです。 クロネコヤマトの宅急便は、1976年2月にスタートしています。ちょうど今から41年前ですね。クロネコヤマトの宅急便が始まるまでは、郵便小包しかなかったんですよね。ぼくも子供のころの記憶がうっすらありますけど郵便小包って送っても到着まで1週間とか平気でかかる、それをクロネコヤマトの宅急便は翌日配送でしかも低料金という画期的な仕組みで市場をゼロから作ってきたわけです。いま私たちが日々利用している宅配システムはまさにクロネコヤマトの宅急便が作り上げたといっても過言ではないのです。そこでいい機会なので、ぼくが大好きな経営者、宅配便の父、クロネコヤマトの宅配便を創業した小倉昌男さん(以下、小倉さん)をこのブログで紹介したいと思いたちました。小倉さんには一冊だけ著書があります。「小倉昌男 経営学」(日経BP社)です。この本が魅力的なのは、小倉さんの名声やヤマトホールディングスのPRのために書かれたような本じゃないところにあります。ちょっと「まえがき」から小倉さんの記述を引用させていただくと (???ロネコヤマトが成功した後)ヤマト運輸の社長だった私のもとに、本を書かないか、という依頼が次々に舞い込んできたのはちょうどその頃である。けれども、私は一切お断りした。成功した経営者が自らの経営談義を出版すると、やがて起業自体は不振に陥り、一転、失意に陥るーそんな例をいくつも見て来たらである。(中略)経営者の頃にさまざまな決断をしてきたが、なぜそうしたかを社員に詳しく説明しないことが多かった。社長である自分がどうしてそう考えたのか。いま改めて話してみるのも意味があるのではないかー。そう思ったから本書を書こうという気持ちになったのである。生涯に最初にして最後の1回限りの著作である。しかも私は、物を売ったり販売したりした経験はない。運送のことしか知らないから、一般のお役に立つとも思えない。サクセスストーリーを書く気はない。乏しい頭で私はどう考えたか、それだけを正直に書くつもりである。 引用長いです。すみません。でももう「まえがき」からしびれますね。この謙虚さ。生涯たった1冊の著書なんですよ。経営者なんて調子いい生き物ですからちょっと有名になると調子こいて何冊も本だしたり講演したりするんですがw、小倉さんはそんなことは決してしてこなかった。でも自分の経営判断や考え方が後進の役に立てばという思いで、70歳を過ぎてから書かれたものなのです。この「小倉昌男 経営学」は1999年初版ですから出版から既に18年の月日が流れています。いまだに多くの人に支持され38刷まで版を重ねています。小倉昌男さんは残念ながら2005年6月お亡くなりになってしまいました。享年80歳。本当に名経営者、いや真のアントレプレナーだったと思います。小倉昌男さん(以下、小倉さん)は、現ヤマトホールディングスの創業者というわけではありません。父親が1919年に創業したヤマト運輸を引き継いで社長となった方です。いわゆる二代目社長です。大塚家具の社長さんも頑張ってほしいと思います。あっ、関係ないかwしかし、小倉さんが引きついだとき、近距離路線で大きくなったヤマト運輸は、長距離輸送時代に乗り遅れ???じり貧状態だったわけです。そこで同じように長距離路線に進出するんですがまったく先行組に追いつけず利益がでない。そこで苦しむわけです。なんとか会社を成長させないといけない。そこで決断したのが「宅配」への進出なわけです。宅配便にすべてのリソースを集中しようと決断させた背景には牛丼の吉野家があったそうです。「吉野家が儲かるのは単品商売だから、だから私も一つのサービスに集中しよう」と考えたそうです。そこからは苦難の道のりです。みんなから絶対に成功しない、あいつはバカだと思われる中、自分のビジョン、経営理論を忠実に実行し、最後はあの誰でも知っている「クロネコヤマトの宅急便」に育てあげるわけです。まあ、その苦闘の経営については本書に譲ることにして、ここではでは、現在宅配市場で起きている問題に、この小倉さんが立ち向かったらどう判断するのかということについてを考えながら、その人となりを紹介していきたいと思います。まずはこの問題、「アマゾンの配送を引き受け「正直しんどい」 過酷すぎるヤマト運輸の実態」とにかく日本でのアマゾンの躍進はすさまじいものがあります。年商が1兆円に到達したとかしないとか。この成長を支えているのは間違いなく日本の宅配システムです。しかし、あまりにも手軽なゆえに配送個数が増え、しかも宅配業者への手数料が安いので厳しいという話がニュースになっています。佐川急便はいち早く撤退をしてしまい、ヤマトホールディングスがいまやアマゾンを支えているという状況です。そこで単刀直入に小倉さんだったら「ヤマトホールディンスのアマゾン撤退はあるのか?」を考えてみましょう。これは、間違いなく、「あります」というのも、小倉さんは宅配便に参入した直後に、ヤマト運輸の屋台骨を支えていた三越とのお中元お歳暮の宅送取引を切るという大ナタをふるっているからです。この時は、50年以上続いた最大顧客との契約解除だったので苦渋の決断だったようですが、三越サイドの理不尽な対応に相当頭にきていたようです。もし、アマゾンがヤマトホールディングに理不尽な条件を押し付けてくるようなことがあれば小倉さんならさっさとて撤退したと思います。もっとも三越を切った当時は、宅配ビジネスが急成長している中でできた決断すが、今回、アマゾンという顧客を失うことで、新しいサービスに注力できるかどうかがポイントなると思います。例えば宅配というサービスそのものを利用してネット通販事業よりイニシアティブを取れるような何かです。もちろん、アマゾンもヤマトを失うわけにいかなでしょうから、厳しい交渉になると思います。アマゾンプライムの料金が年間3900円ですから、これに2000円上乗せして、その分をヤマトに支払うなど対応があれば問題ないかもしれません。顧客側にとっては満足度後退ですが、これをベゾスさんがどう考えるかwこれはこれで許しませんよねwクロネコプライムでも作ったらどうでしょうかw続いてこの問題、「ヤマト運輸、荷物の抑制検討へ 人手不足で労働環境悪化」小倉さんだったらこの「人手不足の問題をどう乗り越えるのか?」について考えてみましょう。まちがいなく、従業員の報酬を上げても徹底的に人員を増やす投資を行うと思います。それは小倉さんの経営哲学の根本に「サービスが先、利益が後」という考え方があるからです。利益はでなくともとにかくサービスを優先しなければいけない、徹底した顧客志向を続けていけばおのずと利益は後からついてくるという考え方です。これは人材についても明確に「社員が先、荷物が後」と語っています。ここはちょっと引用しましょう 人員が増えると、人件費が増えるといって警戒する経営者が多い。それは人のデメリットに着目した考え方である。経営の健全化とか経営のリストラというと、社員の削減が施策の中心なっていることが多いが、私はそのことに常に疑問を感じている。(中略) 人員が増えると人件費が増えるというデメリットは結果であって、その前に生産性があがる、収入が増える、というメリットがあるはずである。もちろんメリットがなければ人など増やす必要はない。だが、人件費を増えるのは嫌だといって人を増やさなかったら、企業の活力は失われてしまうだろう こんなふうに続けます。...

紺屋勝成さんの思い出について

over 8 years ago

先日、紺屋勝成さんのお別れの会に参加してきました。紺屋さんは昨年末53歳という若さでこの世を旅立ってしまったのだけれど、お別れの会に参加してこのブログに紺屋さんとの思いでを少し書いておこうという気持ちになりました。たいした話じゃありませんがw紺屋さんがガンで闘病していることは知っていました。奥様が公職を投げて看病に専念されるということだったので相当厳しい状況であることは容易に想像できたのですが、胃がんで摘出手術に成功されて一命をとりとめたのだとばかり思っていました。闘病生活中にも何度かお会いしたのですが、そんな悲壮感を微塵も感じさせず、順調に回復しているものだとばかり思っていました。昨年の夏過ぎにいよいよ大変な状況になって、厳しい科学療法を選択しなければならなくなったとき、その治療を開始する前日に本人が自ら録画したビデオがお別れの会で流されました。5年5か月前に発見されたガンはすい臓がんで発見されたときは、すでにステージ4のb(他の部位に転移がある)という末期の状態で、そこから家族とごく一部の医療チームとだけ情報を共有して戦ってきたこと、厳しい戦いだったゆえに誰にも病気の状況を伝えずここまでやってきたこと、心配してもらっているにも関わらず、伝えられなかったことを心苦しく思っていて、もし自分に万が一のことがあったらいけないのでこのビデオを撮り感謝を伝えたい、という内容を淡々と語っていました。。紺屋さんらしく、冷静に淡々と。そのビデオの中の紺屋さんのどこか一点を突き刺すようなそれでいてどこかやさしさのある目を見ながら、どれだけの恐怖を乗り越えてきたんだろうとか、限りある時間をどんなふうに使ってきたんだろうとか、いろいろ想像していたら、ぼくも涙をもらわないわけにはいきませんでした。ぼくが紺屋さんと初めて会ったのは1996年ころだったと思います。もう20年以上も前の話です。ぼくがリムネットというインターネット接続サービスの運営会社の取締役をやっているときに、紺屋さんがマッキンゼーから転職してきました。マッキンゼーといえば、当時すでに大前さん率いる超優良コンサルティングファームでしたから、プロバイダーなどという時代の先端的な事業をやっているとはいえ社員数60名程度のベンチャー企業にそんなすごい会社から30歳前後で仕事がバリバリできる人がやってくるなんて、なんて変わった人だろうと思いっていました。しかも東大卒だというじゃないですか。紺屋さんがインターネットの可能性に並々ならぬ思いを抱いており、いてもたってもいられずにネット業界に飛び込んできたということがこの後だんだんわかるのですがね。(リムネットのオーナー社長が、ものすごくエキセントリックな人でその魅力に引かれてやってきたっていう面もちろんあったと思います)それから約1年半くらい紺屋さんと一緒に仕事をすることになりました。紺屋さんからはマッキンゼー流のプレゼンの仕方や会議の進め方などいろいろ教えてもらいました。30歳前後で井の中の蛙になりがちなぼくにとってはとてもありがたかったです。しかし、年齢が近いこともあり、ぼくの方が先にネット業界に入っていて俺の方が知っているなどというくだらないプライドがあり、ちょっと距離をとってしまっていたところもあったと思います。今考えればあの時もっとがっつりといろいろ教えてもらえば良かったなと思います。ほんとくだらない自意識。 紺屋さんとぼくは取締役という立場で、社長を含め3人で毎週社長室に集まりミーティングをすることにしていたのですが、当時、みんな必死だったと思いますが、インターネット接続サービスにキャリアが次々に参入してくるとか景気があまりよくなく直接、間接金融市場からの資金調達が厳しくなる中で、ほんと激変の時代でしたけれど、会議中に社長と口論になることが頻繁にありました。それはそれは厳しいミーティングでしたw。そんなとき紺屋さんがよく間に入ってくれて、まあまあ二人とも落ち着いてという感じで、常に冷静に話を進めようとしてくれていたことをいまでよく覚えています。ぼくの話もしっかり聞いてくれました。紺屋さんは時々黒のポルシェ・カレラでオフィスに来ていたんだけど(奥様のかな?)、そのカレラがいつもほこりだらけで、指で落書きされていました。後部座席にゴミがそのままになっていたりして、「ああ、こういうことはほんとあまり気にしない人なんだなあ」と思いました。ぼくも車なんて性能発揮して動けばいいと思っている方なので、これはこれで親近感を持ちました。付き合っているうちにだんだんわかってきたんですが、ほんと、あまりいろいろなことを気にしない人で、みんなが知っていることをよく一人だけ知らない感じで、ある意味天然入っていて、ものごとをロジカルでロボットのように進めるくせに、ドジな面があって人間らしい人だったなあ。と思うようになってきました。そのカレラで紺屋さんの家まで行って酒をのんだことがありました。あれは1997年だったかなあ。アジアで通貨危機があってNY株式市場が急落して、世界中が連鎖して大変だったんだけど、ちょうどその日だったんですよね。そしたら、紺屋さん、自信たっぷりに「この相場はすぐ戻るからチャンスだ、俺は株をたくさん買う」と自信満々に言っていて、さすがだなあ、ビジネスマンだなあって思ったことを覚えていますよ。もちろんそのあと株価はV字で回復して儲かったと思いますよ。あとこんな逸話もあります。紺屋さんが夜中に胃炎で病院に救急車で運ばれたときのこと。胃が痛くてどうしょうもないので、隣で寝ている奥様を起こしたらしいんですが、まったく起きないので、自分で救急車呼んで病院に行らしいんだけど、翌日、奥様から会社に電話があって「うちの紺屋が朝からいないんですが、出社していますか?」って「何言ってんですか、奥さん、大変ですよ。病院ですよ」って言ったら「えー!」ってことになって、なんとも紺屋さんとその奥様らしい話で、この話も紺屋さんと飲むときよく酒のつまみにしましたwそうそう、青山墓地にリムネットの社長のキャンピングカーで乗り込んで、夜中にバーベキューやったこともありました。墓の前でさんざ騒いで、確か長谷川さんのお墓だったかなあ。帰り際に、これじゃあバチが当たるかもしれないと二人で手を合わせて声を出して「ごめんなさい」と謝ってきましたw 単なる酔っ払いですねwそういえば、時々やったマージャンも冷静沈着で強かったなあ。 リムネットが外資企業にM&amp;Aされることになって、ぼくはリムネットをやめることになってしまったんだけど、紺屋さんはその後何年かリムネットに残ってしばらく業務全体を執行していました。ほんと個人的には激動の時代で、ぼくは小さな子供二人抱えて無職になったわけですから、案外泣きそうで、何とか食っていかないといけないということで、仕事くれそうなところ回って、いくつかの雑誌や新聞に原稿書いたり、書籍出してみたり、知り合いの会社を手伝ったりなんてしてなんとか食いつないでいたわけで、その後、忙しさにかまけて紺屋さんともほとんど連絡を取らないようになってしまいました。リムネットをやめた後の紺屋さんは外資のベンチャーキャピタルにいたり、自分でベンチャーの立ち上げをしたりしていて、風の便りではときどき聞いていたんだけど、ぼくも自分の会社を立ち上げていっぱいいっぱいで、連絡を取らないようになっていました。でも、一度日曜日の午後とかに「いま会議中なんだけど、柳澤さん○○詳しいよね。教えてくれる?」???か電話が突然あって、「ああ相変わらず休みなしで忙しく働いているんだなあ」と思ったことがありました。次にぼくが時々会うようになったのは、USENの取締役に就任された後です。ギャガがUSENの子会社になり、集客にネット広告使えないかと相談があって、そのあたりからまた年に1、2度お酒を飲むようになりました。ある時、紺屋さんの奥様がTVのバラエティに出演されていて、それは「うち飯は料理せずにネット通販で取り寄せして済ませている」とかいう「えーー!」て感じの衝撃的な内容で、「あれテレビの演出でしょ?」って聞いたら、さらりと「あのとおりだよ」というこれまた紺屋さんとその奥様らしい話で酒の席でだいぶ盛り上がりました。またある時は、紺屋さんが酔っぱらって何度か財布やケータイ全部どっかに忘れて帰宅したりしていて、奥様がさすがに怒って「禁酒」を言い渡されて、さすがに酒飲めなくなったときがあったんですが、奥様がたまたま海外出張で、鬼のいぬまにということでたらふく飲んで夜中まで大騒ぎしたこともありましたwいつだったか、たぶんぼくが上場して、そのあとライブドアショックがあって、世の中からネット企業が白い眼で見られていたようなタイミングだったと思いますが、紺屋さんの奥様もネット企業の社長なわけですがやっぱり苦戦していて、酒飲んでいるときに紺屋さんがぽろっと「うちのはアイディアと馬力はあるんだけど経営がいまいちで、柳澤さんは経営がうまいから、うちのやつの会社と一緒になったらきっとうまくいくと思うよ」と言ったことがあって、紺屋さんの奥様が経営が下手とはまったくおもいませんがw、そんな風にぼくのことを見ていてくれたのかと思うとすごくうれしかったことを憶えています。 さて、お別れの会では、紺屋さんをサポートした医療チームの先生が弔辞を読まれていて、その先生が紺屋さんのビデオを見た後に、そのようなビデオが残されていたことに驚き、5年以上、数週間おきに命をつなぐための決断を冷静にしてきた紺屋さんを称えていました。良い結果が出ても悪い結果が出ても、しっかりロジカルに捉えて前に進む紺屋さんらしい話だなあと思いました。奥様もご挨拶の中で「紺屋が関係者の中で一番冷静でした」と言っていました。とにかくそういう人です。医療チームの先生が、紺屋さんの心配は2つある。一つは奥様のこと。そしてもう一つは自分のことをみんなが忘れてしまうんじゃないかということ。なんていう話もされていました。奥様は大応援団がついているのでまったく心配ないと思いますが、みんなが忘れないように少しでも紺屋さんの思い出をネット上に残しておこうとそのとき思いました。紺屋さんの名前で検索すると、死亡記事ばかりじゃ味気ないですしね。奥様がご挨拶の中で、NHKの朝の連ドラ「あさが来た」の主題歌が好きだったというお話されました。 ぼくも毎日見ていたんですが、紺屋さんも見ていたのかな?ベンチャースピリット、ファーストペンギンの話ですからね。主題歌「365日の紙飛行機」のさびの部分の歌詞に次のような言葉が並びます。人生は紙飛行機 願い乗せて飛んで行くよ 風の中を力の限り ただ進むだけ その距離を競うより どう飛んだか  どこを飛んだか...

「消費かよ」という視点でとりとめのない未来の話をしてみましょうか

over 8 years ago

突然ですが、世の中にモノがなかった時代は生産者がものすごく強かったわけです。手作りしていたものが工業化され、大量生産され、科学の進歩とともに何度も人間社会はイノベーションをおこしますが、主役はいつも生産者でした。少しその景色が変わったのがアメリカでスーパーマーケットなどの小売業態が誕生したからです。この流れは戦後日本にもどっと入り込んできます。総合スーパーは規模のメリットを利用して消費社会で成長していきます。このときは売り方にイノベーションが起こったわけです。生産者は作ったものをたくさん売って儲けたい、消費者は生産者が作ったものを購入して生活をもっと豊かにしたい。その両者のニーズをつなぐものがまさに小売流通業だったわけです。しかし、はじめは良好に見えたこの生産者と小売業者との関係は時を経てぎくしゃくし始めます。両者の目的に次第にずれが生じてきたからです。生産者は「できるだけ高く売って儲けたい」あるいは「生産と価格をコントロールしたい」、小売業者は「できるだけ安く売って消費者を喜ばせたい」あるいは「でいるだけ安く売って他の競合する小売業者に商売で勝ちたい」と考えるようになりました。「そんな安く売るんだったらお前のところには商品を卸さないぞ」という生産者、正規のルートじゃない、倒産品でもいいからとにかく現金で仕入れてきて自分たちの値付けで売る小売業者、そんなにらみ合いのケンカがはじまったわけです。しかし、これもしばらくすると、結論が出ます。その答えを出したのは消費者です。消費者は「安いほうがいいに決まってるじゃん」と言ったのです。結果、小売業の大勝利で、小売業者は生産者から次第に価格のイニシアチブを手に入れることに成功します。「おいおい、消費者様がそう言っているんだぞ。生産者はその値段で作らなきゃ売れないぞ」「お前らの利益はお前らの知恵とコスト削減で出すように」と。こんな感じです。 この時に生産者が消費者に対する価格決定の優位性を手放すことになったもう一つの理由に生産者が直接小売流通をネットワークしてしまっていたこともあります。モノがない時代は自分たちの商品を直接消費者に届けるための独自のチャネルが有効に機能していたんですが、いざ多商品時代になると、他社製品と比較検討できないこの独自チャネルが逆にお荷物になるわけです。いわゆる「負の資産」です。生産者が持っていた小売機能が小売業者との戦いでお荷物になる皮肉な話です。さて消費社会の一面をみているので誤解がないようにしてほしいんですが、もちろん生産者がまずモノを作らないと小売業は売れないわけなので、その生産者の地位が下がったというわけじゃないんですが、誰がモノづくりのイニシアチブを持ったかというと消費者とより近い位置にいた小売業だったということです。そしてここからは小売業が消費社会のリーダーとなります。まずは総合スーパーがけん引し、次にドンキーのようなディスカウントストア形態、ヤマダ電機やユニクロ、ニトリのような専門店による大規模チェーンストアへと進化していきます。自動車社会や居住地のドーナツ化など社会環境やインフラの変化をうまく取り込みながら消費者のニーズを満たしていくわけです。その最高峰に位置するのがコンビニです。もっとも消費者に近いラスト100メートルの商圏を築くことで消費者の懐に飛び込むことに成功したわけです。そこで吸い上げられた消費者の声はモノづくりの情報としてフィードバックされ、ヒットすることが当たり前のようなプライベートブランドが次々に誕生します。従来のような生産者と小売業者というようなカテゴライズすら破壊されてしまう新しいイノベーションです。小売業の生産者化です。小売生産業の誕生です。現在も小売業がイニシアチブを取って消費社会は変化して続けています。そしてその最大の焦点はネット社会からテクノロジーとともにやってきたEコマースです。既にみなさんも当たり前のように利用しはじめているEコマースが小売革命の最前線です。そしてこんどは専門店チェーンストアから価格決定権はオンラインに移りはじめてい???す。ヤマダでTVを購入するときにネットで検索して最安値より安いか調べるなんていうのがそれです。これをシュールーミングなどと言う人もいます。リアルのショップで商品を見て、ネットで購入するというスタイルです。米国のリアル小売業なんかはこれでアマゾンにどんどん顧客を奪われて破綻しはじめているわけです。 がんばってオムニチャネルとかいってリアル店舗に顧客を呼び込もうとすることを否定するわけじゃないですけど、オンライン化の波はもう誰にも止めることはできません。もちろんバックオフィスでの物流、Eコマースを支えるソフトウェアやクラウド技術、決済サービスなどオンランショッピングの便利さを引き出すそういう機能がないと成立しないわけですが、消費者にとって一番近い場所にいて何をどうすればよいのか一番わかっているのはEコマースという業態で、これからも利便性や効率化を武器に消費社会の秩序を破壊していくわけです。ここまでは消費者社会の主役が生産者から小売業者に移ったという話ですね。そして小売業者がPB生産機能を持ったという話。そしてEコマースの登場がさらに小売業者の立場を強化しているという話。はい。以上、前置きです。長いですね。長すぎるw。しかし、ぼくがこのブログで書きたかった話はこの先です。ここからどうなっていくのかという話です。結論から言うと、「消費社会のイニシアチブは次は小売業者から消費者に移る」という話をしたいと思います。何言ってんだかよくわかりませんよね。消費者は消費するんだから、購入するんだから、そもそも一番強いに決まっていますからね。それでもあえてなぜ「移る」なんて、そんな話をするのかというと、それはモノを作るあるいは値段をつける決定権を誰が持つかという話をしたいからです。小売業者から消費者にその力が移る理由は、ネットによる消費情報の可視化です。はじめはモノの価値や中身は生産者が勝手に決めることができました。そしてそれをマスメディアを利用して一方的に消費者に送り付けた。消費者はそれを信じるしかなかった。ところが小売業者が力をもってくると、消費者はその店先で選別をはじめた。店そのものがメディアになることで小売業者が消費を支援した。そしてネット社会の到来とともに、今度は消費者は店舗の情報よりネット上の消費情報を利用するようになってきた、なぜなら消費者は消費したという名の体験者でもあり、消費者の書き込んだ情報の方が企業が発信する情報や店員が進める情報よりよっぽど信頼できるからです。そしてやがて消費者自身のフィルターを通した情報は、マス広告情報や???舗情報を飛び越えて、消費活動を支援するためのメディアとなってくるわけです。消費者の消費活動の決定権は、生産者ではなく、小売業者でなく、消費者による消費者が作るメディアが持つことになるというわけです。 こうした流れまでは確実に現在進行形でおこっていると思うわけですが、問題はここから更に先です。ブログやSNSというツールを手にいれたことで消費者が消費情報をアウトプットできるようになり、従来マスメディアが行っていた、利権を利用した商品の選別・告知機能が消費者に移り、その消費活動を支える。アフィリエイトやキャッシュバックのような個人の消費情報経済を支えるインフラができてくる。スマホの普及でCtoCアプリやマーケットプレイスなど消費者が商品を売ることができるインフラができてくる。消費者自身がモノづくりに直接参加できるクラウドファンディングというインフラができてくる。そして消費者活動のイニシアティブを得た消費者は、小売業がそうなったようにメディア化を進める。さらに次には小売業がプライベートブランドを作り始めたように生産者にもなっていく。と、思うわけです。この先は消費者自身が「モノを作りモノを売る」時代が到来すると思うのです。クラウド技術は圧倒的にサーバーのコストを下げ、3Dプリンタはモノづくりの低価格化を支援する。誰もがモノを作りメディアになり、モノを売ることができる。そういう消費社会になっていくのではないか。そんな未来を想像するわけです。「みんながメディアになるなんてありっこない!」 「みんなが売るわけない!」 「みんながモノつくるなんて考えられない!」今は確かにそう思えます。そんな能力がみんなにあるのか?そんな手間暇を消費者がかけるはずないというのは正論です。しかしですよ。これは30年後とか未来の話です。どんなイノベーションが起きるかわかりません。というか起きないわけがありません。「今はそれを実現するためのピースがたくさん欠けている」それはよくわかります。だけど30年前は今の「インターネットのようなもの」すら想像できなかったわけですからね。「タイプライター文化のない日本人にキーボードを操作する能力はない。パソコンを使うなんて信じられない」と言っていた90年代の人々を忘れることができませんw17年前、1999年ころ、ポータルサイトビジネスがもっとも注目されていたとき、パーソナライズされたポータルサイトを想像した起業家がたくさんいました。ひとりひとりがポータルサイトを持ち自分の好きなことやコミュニティをみんなに発信する世界感です。けれども当時SNSもなかった、CGMすらなかった中で、そのパズルが組みあがることはありませんでした。いまフェイスブックなどはそれに近づいているかもしれません。でも何かが足りない、かもしれません。その何かがないと絶対それはできないわけです。できるためには次の何かを動かすイノベーションが必要なのかもしれません。その昔、未来学者のアルビン・トフラーが、「第3の波」という未来予測の著書の中で、プロシューマーという概念を展開しました。プロデューサー(生産者)とコンシューマー(消費者)の融合です。個人的にはまさにそこにむかっているのではないかという気がしてなりません。そして最近は「インターネットの登場が社会を変えた」という考え方すら怪しいと思っています。「社会は必然としてそうなるために、たまたまインターネットを連れてきた」という考え方の方が正しいような気がしてきましたw「モノを作りと、そのモノを自身で消費する」というのは、原始時代から人間がおこなってきたシンプルな営みですが、壮大な消費社会を経て、次第にそうしたミニマムな世界に再びもどっていくのではないか、肥大化したコミュニティは、複雑化した市場は、テクノロジーの進化を経て再び「個」にもどっていくのではないか。そしてそれが人間社会の必然ではないのか。など考えながら最近は猫のフンをかたずけ、犬の散歩をしています。犬の幸せは猫の幸せとは違う。犬も猫も人間の幸せとは違う。みんな違う未来があるわけで???ね。何言っているか意味わかんないですよね。そんなわけでとにかく、ここまで読んでくれた皆さんにはひとりひとりそれぞれの幸せが訪れることを願うわけです。@ankeiy

ニトリ創業者、似鳥昭雄さんに学ぶビジョンの力について

over 8 years ago

ニトリは、すでに誰でも知っているお店だと思います。ぼくも若いころからよく利用させてもらいました。特に、町田の16号線沿いのお店には、まだ子供たちが小さかったころよく行ったもんです。記憶にあるだけでもキッチンに置くサイドボード、子供のベッド、ソファ、学習机なんかを買いましたかね。ここ10年くらいは、家具の巨人IKEAが参入してきて「ああ、ニトリもこれから大変なのかな」くらいに思っていたんですが、全然、ニトリの勢いが衰えず、逆にIKEAの方が弱ってきている感じじゃないですか。大塚家具なんて迷走している感じですし。日本の家具市場を見ると、ほんとニトリは強いですよね。と、業績をちらっと調べてみると、2016年2月期の売上高は4,581億円、経常利益で750億円です。この期まで29期連続増収増益を続けていて、この記録は上場企業の中で堂々の1位だそうです。2016年1月23日の終値でニトリホールディングスの株価を見ましても、時価総額1兆4,795億円、4,000社弱の上場企業の中で88位です。すごいですね。(ちなみに世界のIKEAはFY2016で売上高約4兆2000億円、ニトリの10倍の規模です) この企業を一代で築き上げたのが、創業者であり、現在も会長職にある「似鳥昭雄さん」です。パチパチパチ!今回はこのブログで似鳥さんがいかにすごい人かということを紹介しようと思いますが、ぼくもそんなすごい人だとは、2015年に話題になった日経新聞の私の履歴書を読むまでまったく知らなかったわけです。それで似鳥さんの著作をいろいろ読ませていただいて、これはとんでもない人だという結論に至ったわけです。小売流通にはいろいろキャラが立っているすごい経営者がたくさんいるんですが、たとえばユニクロの柳井さんとか。セブンの鈴木さんとか。ぼくはどなたとも会ったことないのにこんなところで印象でいうのは非常に恐縮なんですが、柳井さんのイメージって学校の先生のようで、それもかなり厳しい先生って感じで。成績の悪い生徒をビシバシとしかっていて。成績の悪い生徒は退学!おお厳しい。セブンイレブンを作った鈴木さんは村長さんのようなイメージで、次々と面白いアイディアで村祭りを盛り上げてくれるような、いろんな具の入ったおにぎりを差し入れてくれるような感じですが、似鳥昭雄さんのイメージは一言でいうと村の片隅に住んでいる変人おじさんですwこの3人をわかりやすくレンジャーシリーズに例えると、柳井さんは赤レンジャーで、鈴木さんはレンジャーが集まる喫茶店のマスターで、似鳥さんは間違いなく黄レンジャーです。って話がそれました。そんなことを書きたいわけではありません。まず、似鳥さんは「自分は頭が悪いけど、こんなバカでもできたんだから、誰でもできる」とみんなを元気づけてくれます。普通は「またまた、謙遜して」とか「自分のことバカとか言っておきながら本当はバカじゃないんでしょ?」とか、思うわけですが、著書で経???を確認すると本当に頭悪いかもしれないという「とてつもない説得力」がありますwちなみに、小学校と中学校は成績表は1と2ばかりで、しかもいじめられっ子でもあったそうです。高校は受験したところ全部落ちて、最後に落ちた高校の校長に母親が米俵を届けて裏口入学をし、高校のテストはカンニングで乗り越え、大学は試験にはすべて落ちて、短大に替え玉受験で入ったそうです。なべやかんもびっくりの展開ですwこんな似鳥さんはたまたま生活のために家具屋を始めます。家具屋をはじめた理由は近所に家具屋がなかったからというようなイージーなものです。しかし、似鳥さんは対人恐怖症だそうで、まったく接客がダメでいつ倒産するかというような状態だったそうですが、そんな似鳥さんに転機が訪れます。それが、もう破産寸前まで追い込まれたときに一発奮起して参加した家具業界の米国視察ツアーです。似鳥さんはそこでアメリカ人の生活の豊かさやチェーンストアのすごさを思い知ります。その時のことを振り返って「他の参加者は、米国と日本は違うから、米国の良いところだけつまみ食いするぐらいの気持ちでいたと思いますが、私は米国で見たものすべてを日本で実現したいと思いました」と語っています。ツアー参加者の中で似鳥さんにだけにカミナリが落ちたわけですwこの米国ツアーで似鳥さんは生きる目的を手に入れました。それまでは生活のため、お金儲けのために、家具屋をやろうと思っていたわけですが、「日本人にアメリカ人と同じ生活をさせることができたら、どんなにみんな喜ぶだろう、感謝されるだろう」ということを具体的にイメージできたわけですね。27歳の時だそうです。 こういう話、ピンと来る人とこない人がいると思いますが、なんか電気が身体を走り抜け、自分が取り組めばわくわくするような未来が実現するということが自分だけに理解できるっていう体験、ぼくにもありますが、これはもうすごいことなんですよね。どうすればそこにたどり着くことができるかなんてまったくわからないのに、もうそこに行きたくてしかたないような。みんなにそのイメージを話したくていてもたってもいられないような。そんな瞬間ですね。しかし、世の中は非情です。人生の目的を手に入れてもその方法はわからないわけです。そこからまた苦しみが始まるわけです。ところが、がんばる人にはまたまた転機が訪れます。それがペガサスクラブへの入会です。ユニコーンじゃなくてペガサスですwこれは???美俊一さんという方が主催されているチェーンストアの勉強会ですね。渥美さんという方は、日本にチェーンストア理論を紹介したすごい人で、日本の小売流通の経営者はほとんどこの方に指導を受けています。渥美さんの著書を読むとわかりますが、なんかこうきちっとした哲学者のような方で、経営者のメンターでもあるわけです。この渥美さんが似鳥さんに言ったのが、「ロマン」と「ビジョン」を持ちなさいということです。(似鳥さんは言います) 「運はあきらめない人に味方する」この「ロマン」というのは「日本人を米国人と同じような豊かな生活に導く」という既に似鳥さんが手に入れている生きる目的のことです。それで「ビジョン」というのは、その目的を達成するための具体的な数値目標というわけです。渥美さんの指導を受けて、似鳥さんは第1期30年計画を立てます。それが「30年間で1000店舗を実現し、売上高を1000億円にする」というもです。1972年のことだそうです。それで、この30年計画がどうなったか?1年遅れの2003年、似鳥さん59歳のときに達成するんですよ。いやーほんとにすごいことですよね。30年ですよ。30年はただ流れただけじゃなく、財務や採用の困難、業界の圧力、乗っ取りなど似鳥さんは苦闘を重ねるんですが、そのあたりはぜひ似鳥さんの著書を読んでいただくとして、ここでお伝えしたいのは「日本人を米国人のような豊かな生活に導く」というロマン(夢)を手に入れた男の強さですよ。そして具体的な目標(ビジョン)を数値化し実現した男の執念ですよ。365日24時間ずっとこのことを考え続けたそうです。人生をかけた戦いのわけですよね。ずっと村の変人おじさんとしてwそれでこの30年計画を達成して、次はどうしたと思いますか?今度は第2期30年計画を立てるわけですよ。それは「2032年に3000店舗、売上高を3兆円にする」というものです。また新たに次の30年後を夢見るわけです。似鳥さんの車のナンバープレートは「品川3000」だそうです。トイレにも寝室の天井にも目標数値が貼ってあるそうです。 この数字を絶対に忘れないために。って子供かwちょっと話がずれますが、アマゾンの創業者ベゾスさんも2000年くらいのインタビューで、世界中で利用できる顧客満足度の高いEコマースで新しい需要を生み出すという話をしていて、記者からいつぐらいに実現できると思いますか?と聞かれて30年くらいかかるという話をしているんですよね。たぶんベゾスさんの中にも明確にイメージできる似鳥さん的な「ロマン」があるのだと思います。(これはみんなに見えるものではないですね)だいぶ長くなってしまいましたwここらで話を強引に終わりにもっていきタイと思いますが。 似鳥さんは、ニトリのスタッフに向けて「成功の5原則」を掲げています。1.ロマン(志) 2.ビジョン 3.意欲 4.執念 5.好奇心ざっと解説します。「ロマン(志)」と「ビジョン」は説明してきたとおりです。生きる目的、事業をやる目的とそれを数値化した目標です。次に「意欲」はできそうもないことに挑戦することだそうです。まさに30年計画のビジョンを支える言葉ですよね。そして「執念」は目標を達成するまで決してあきらめないこと。最後に「好奇心」は常に新しいものを発見しようとすること。だそうです。いずれの言葉も言葉にすると単なる言葉ですが、意味をかみしめるとすごく重い言葉です。当たり前のことではありますが、やはりこの言葉の深さを理解して、本気で行動しないと結果が伴わないということでしょうね。現在のニトリの好業績は、まさに5原則に支えられているといってもいいと思います。1994年にプライベートブランドの海外での製造を開始するんですが、中国を拠点にすることが当たり前のような時代に、東南アジアに工場をたて現地で教育し製品の組み立てだけでなく、部品まで自分たちで作り、コストを下げ、業界の常識を超えるような品質を生み出すことを実現したことが現在の大きな競争力となっています。最近、ちょくちょくニュースになりますが、製造だけでなく物流システムや倉庫なども他社に先駆けて様々な工夫をしてコスト削減に励んでいるわけです。まさに似鳥さんが実践してきた工夫の塊のような企業です。ニトリがこれからはじまるであろうEコマース化の波の中で、アマゾンとどう闘い第2期30年計画を達成するのかほんとうに楽しみなんですが、そんなことをさておいて経営にとって金儲け以外の「なぜその仕事に取り組むのか」そしてそれを「いつまでにどんなか形で達成するのか」というビジョンがいかに大切なのかということが今のニトリからも痛いほど伝わってきます。事業をスタートするきっかけは、金儲けのため、名声のため、偉くなるためという下世話な理由でも一向にかまわないと思いますが、どこかでこの似鳥さんのようなロマンを、哲学を、手に入れないと経営を長く続けることなんてできないんだなと実感させられます。誰しも仕事には人生の中で多くの時間を費やします。生きる目的とイコールになる人もたくさんいると思います。「なぜ、自分はこの仕事にとり組むのか」だからこそ、この思い問いかけを忘れてはいけないのだと思います。もしも手に入らなければ最後の最後までもがき続けるしかないんだと思います。おわりに似鳥さんだから言える素晴らしい言葉をみなさんに贈りましょう。「鈍くても遅くても、とにかく前に進め」 @ankeiy <参考文献>...

バカにされるエネルギーは先見性をはるかに超えるという件について

over 8 years ago

何か商売をスタートするとき、それをはじめるタイミングがすごく大切だというのは間違いないと思います。よく「流行の一歩先くらい」がちょうどいいって言いますしね。あまりに早くスタートしてしまうと、まだ市場が立ち上がっていないから失敗するし、遅れると先に誰かに果実を奪われてしまうというイメージなんだと思います。ぼくもこの事業のタイミングを当然すごく意識してきました。たとえば今手掛けているネット広告のサービスも、まずネットユーザーが育って、Webコンテンツが増えてそこで事業を展開する広告主が増えて、はじめて「それじゃあ、広告でも利用してみるか」となるわけで、早く始めすぎると「あれ、市場がないぞ」ってことになるわけです。ぼくたちがアフィリエイト広告の仕組みを引っ提げてネット広告市場に参入したのは、2000年ですが、実際に市場が立ち上がった感触を得るのは2002年過ぎです。2年間は亡霊のようにさまよっていましたw市場が立ち上がった最大の理由は孫さんたちが火蓋をきったブロードバンド(ADSL)の使い放題のインターネット接続サービスが全国にいきわたり、楽天をはじめとするECビジネスが成立し、ようやくネット広告という話になったからです。「ちょっと早すぎましたね」っという話は業界ではよくある話で、スタートが早すぎたために時代が追い付いてこれなかった。結果まったく儲かりませんでした。こういう昔話は酒のつまみにはいいんですが、ただそれだけですwそれじゃあベストのタイミングではじめることができれば、商売はうまくいくのかというと話はそう単純じゃないというのが今日のブログのテーマです。ぼくは1994年にインターネット接続サービス「リムネット」の立ち上げに参画しているのですが、その時、マーケティングや広報全般を取り仕切っていました。サービス開始前からすごく意識したのは「日本初」というメッセージです。1994年当時、電話回線を利用してダイヤルアップでインターネットに接続できるサービス(後にプロバイダーと呼ばれるようになります)は既に1社ありましたが、とても高額で、一般人が利用できるようなものではありませんでした。そこで我々は3分間10円で利用できるという低額従量課金のサービスを「日本初」でスタートするわけです。これは大変受けました。あっという間に会員1万人をこえ、日本最大規模のプロバイダーになったわけです。もちろん、その道筋は平たんではありませんでしたがw。日経新聞や日経BP系の雑誌にまだインターネットという言葉がほとんど登場しない時代ですから、取材もたくさん受けました。とにかく「日本初」を引っ提げて注目を浴びたわけです。ニュースリリースを出すと、新聞にどんな風に紹介されるのか翌朝は楽しみだったものです。(余談ですが、先日、とあるお店で買い物をしてレジで並んでいると、前に並んでいた人が、会員登録か何かでメールアドレスを記入していて、ちらっと見えてしまったんですが、アドレスのドメインが、st.rim.or.jpでした。これリムネットが最初に設定したドメインです。ということはこの人20年以上リムネットを使っている人だということで、思わず声をかけそうになりました。そう、驚くことにwリムネットはいろんな会社を転々としながらまだサービスを継続しているのです)ところが、このリムネットもあっという間に大資本が参加するレッドオーシャンに飲み込まれます。その後は皆さんもご存じのとおりNTTやKDDIという通信キャリア、あるいはソフトバンクという新規参入があり、一気に市場は寡占化していきます。TVでどかどかCMされて、街角でタダでモデム配られたらかないませんよね。リムネットは先見性もありベストのタイミングで市場に参入したはずなのに、その知名度や競争力を維持できたのは、結果としてわずか数年でした。(その後は表舞台から去るわけですが今日もサービスが続いているというのは、通信事業いう会員ストックビジネスが堅牢なモデルであることがわかりますw)世の中では、リムネットのような話は山のようにありますよね。何かしらのきっかけで新しい時代が動きはじめたとき、そういう新しいことに敏感な連中から行動力がある一部の人間が立ち上がる。そして注目を浴びるがやがて市場ができ競合が生まれ、強いところが生き残っていく。まあこれが資本主義経済ですよね。たとえタイミングよく市場参入できても、先見性があってもそこで得た競争力っていうのは案外続かないわけです。たとえゼロから始めてキャズムを乗り越えたとしても。そしてその早くはじめる強みはソーシャル時代に入りさらに弱くなっていると感じます。グロースハックとかネットワーク効果とかどうもそっちに気を取られ過ぎているような気もします。それでは、ビジネスの継続性や競争力を高めるために何が必要かという話です。結論か言うと「バカにされるエネルギー」がすごく重要だと思います。この量と期間が長ければ長いほどその事業は強くなると思います。例えば、いまでこそ世界の小売りの頂点に立とうとしているアマゾンですけど、創業から10年あまりは「利益の出ないビジネス」とさんざん投資家やアナリストからバカにされてきました。社会からそのやり方じゃあ儲からないと烙印を押されるような状態ですよね。もちろんECビジネスは新しいビジネス形態ですからそれなりに注目されるわけですが、アマゾンがバカにされるたびに、競合として参入する企業はアマゾンと同じことはしないようにしようということになるわけですw極め付けはITバブル崩壊前後にアマゾンは自社で倉庫を抱え、在庫を持つ方向へ大きく舵を切ります。赤字でまったく儲かっていないのにさらにとんでもな投資をして在庫を抱えるなど世間からみたらまったく不思議な話でした。せっかく無在庫のネット企業の身軽さを自ら捨てるわけですから。これまた社会から「バカの烙印」を押されるわけです。競合はそんなアマゾンを見てバカだな、あの企業とは同じにならないようにしょう、と思いますよね。ところが現状を見れば明らかなように「バカだな」と思われることが、ア???ゾンという企業のその後の長期的な競争力になっているわけです。同じようなことは日本でもたくさんあげられます。例えば楽天、楽天以前にもモールビジネスを立ち上げたベンチャーはありましたがどこも上手くいっていませんでした。さらにモール型のビジネスは極めて近い将来に競合ECがひしめくことでモール内競争が発生し、撤退が増え、ビジネスの天井は近いだろうという見立てをする人もかなりいました。当時、モールビジネスは儲からない理由を探す方が簡単だったといえるでしょう。そのおかげでやはり社会から「バカにされるエネルギー」をかなり得ていたのだと思います。ところが、現実はモールが大きくなればなるほど集客力を高めることになり、まるで横浜中華街や秋葉原のような発展をしていくのです。気が付いた時は誰もなかなか追いつけない位置づけになっているわけです。もちろん、戦略の組み立てには三木谷さんならではのアイディアがたくさんあったと思いますが。これは大きなトレンドの話です。例えば、カカクコムもそうです。カカクコムの創業者ははじめ秋葉原のパソコンショップを回ってパソコン価格を調べそれを手入力してデータベース化していくわけですが、このデータベースを入力している姿を見てみんなどう思ったかというと、「バカだなあそんなことして」だったと思います。そのビジネスのやり方を見て「よし、俺もやってみよう」という人が長い期間いなかったわけです。今でこそ立派になったカカクコムを見て、やっぱりデータベースビジネスだよなあとか後付けでストーリーを語る人はいると思いますが、2000年前後の「バカにされるエネルギー」は巨大だったのだと思います。バカにされるエネルギーが大きければ大きいほど、期間が長ければ長いほどその企業の競争力は高くなり、必然的に競争力がアップするはずだ。というのがこのコラムの趣旨ですが、そういう話をすると、ビジネスを大きくするための資金や人材はどう集めるのだという話になります。そうです。そんなバカにされるような企業に「金」や「人」は集まらないという問題です。しかし、これは心配に及びません。一握りの理解のある投資家が存在すればいいのです。バカにされるような現在の先にある夢を語れる経営者がいればいいのです。もうひとつ、バカにされるようなビジネスがなんで利用者の支持が得れるのかということも疑問ですよね。それはひとえにそういう経営者は自分たちの利用者のことを徹底的に見ているからです。社会全体を見ているわけではありませんw社会(マスメディア、アナリストや株式市場)から見ると、一見不合理に見えるようなことも、経営者としては大まじめに自分の顧客をどう喜ばせるかという一点に合理的にフォーカスされているわけです。結果として、この社会と顧客の意識のギャップが、ライバルの戦意を喪失させ、圧倒的な競争優位を生むのだと思います。時代のあだ花のようにパーと華を咲かせる事業はあると思いますし、先行者利益というのも当然あると思いますが、事業にとって大切なことはやはり継続すること、つまりは自分の市場で競争力を維持することなではないかと思います。そうでなければ、雇用して多くの人々を巻き込んでいく本気の覚悟なんて経営者になかなできるもではありません。事業にとって先見性よりタイミングより大切なことは、自分が未来に信じる世界感を社会からどんなにバカにされても、じっと顧客のことを見ながら、間違いに気づけば修正しながら、持ち続けるエネルギー(ビジョン)なんだと思います。年始にウォーレン・バフェットさんの本を読み返したのですが、バフェットさんははっきりと「投資は長期の競争力が極めて重要なので、売上より営業利益率だ」と言っています。つまり、たとえ売上が縮小傾向でも営業利益率(つまり市場における競争力)が維持できれば、その企業は彼の投資候補となるということです。そしてバフェットさんがCEOとしてバークシャーハザウェイを何十年も成長させてきたのは、この「売上より営業利益率」だという考えと、その投資の成功確率を上げるために、この競争力を左右するリスクができるだけ少ない企業を選別して投資してきたということだということです。ある意味、マイクロソフトやインテルのようなスター企業に何で投資しないんだとパフォーマンスが悪いときにバカにされながらも、そんなことをどこ吹く風で自分のやり方を何十年もやり通してその競争力を維持してきたんだなあとあらためて思いました。ちょっと長くなりましたが、みなさん、2017年もバカにされながら、コツコツがんばりましょうw@ankeiy

ぼくの病気と自分のために生きていることについて。

over 8 years ago

今年も残すところあと数時間あまりになりました。みなさん本年もお疲れ様でした。「さて2017年の準備でも始めましょうか」と言いたいところですが、本年中に書いておかなければならないことがありました。それは私の病気の話です。このブログも1年間ほとんど更新できなかった理由も、ややそこにありますが、そもそもブログなど書いている余裕がなかったのでありますwぼくも50歳を超え、病気の一つや二つは付き合いがあります。大切な友人も若くして何人か病気で失っていますし、そのたびに乾いたぞうきんを絞るような嫌な思いをしてきました。古い友人に久しぶりに会うと、自分や家族の病気や治療の話に花が咲いたりしますwそのくらい病気ってのは身近なものでありますが、元気なときはだいたい自分ごとになっていないません。自分だけは大丈夫、病気にならないと心のどこかでいつも思っているわけです。ぼくもまったくそういう人間であります。しかし、著名人の突然死のニュースじゃないですけど、ある日、突然、それは自分ごととなって自分の前に現れる。それは決して他人事ではないわけです。まあ、病気の話なんて縁起でもないのでブログに書くようなことではないかもしれませんが、病院のベッドで寝ているときに、ネットで検索して自分の症状に近い人や治療をした人の話などを読んでいました。ネットの医療情報の信頼性がどうのこうのというニュースが話題になっていますが、いざ病気になると、治療方法とかこれからどうなるのかなんてことは医者に聞くしかないんですけど、実際に病気を体験した人の話はその人しか感じえなかった不安や希望を感じ取ることができるので大変心強いものがあります。病気ってのは心の問題がすごく大きいわけです。心の支えになるっていうのはある意味、西洋医学の知識や薬なんかより元気をもらえたりするわけです。 ということで、ぼくもこれからぼくが体験した病気をこれから体験するであろういくばくかの人々のために、記録としてブログを残しておかないといけないなあと思った次第です。記録的な意味もあるので事実の記載に文字数をさいたのでいつもよりとんでもなく長文ですw「2016年ぼくの病気」事件は、どうも体調がよくないので2016年4月9日に近所のかかりつけの内科で受けた血液検査から始まります。結果を聞きに病院を訪れると、いつもニコニコしている先生が真顔で「柳澤さん、どこ行っていたんですか?」「電話しても全然つながらないから心配していたんですよ」と。「え、電話したんですか、、、」その病院に登録してあった電話番号はもう使ってない電話だったんでそもそもつながるはずないですけど、これはただ事じゃないないと思いました。案の???、検査結果は肝臓の数値が軒並み高く、先生は肝臓の異常を心配してできるだけ早く再検査を受けたほうがいいということをとにかくぼくに伝えたかったようです。 <4月9日の肝臓の数値>特に医者が気にしたいたのはCPKという筋肉の破壊を示す数値が高いところです。この筋肉の破壊の数値が高い理由は2つです。ひとつは筋トレなどの激しい運動で筋肉が破壊される場合ですが、もうひとつは筋トレ以外の何らかの理由で筋肉が破壊されているということです。筋トレの直後だとこの数値は当然高くなるわけですが、ぼくが最後に運動をしたのはもう1週間も前。体調が悪くて血液検査を受けているわけですし、他の数値も正常値を超えていることを考えると、筋肉でなんらかの異常が起きていることを疑いたくなるわけです。そもそも、ここ何週間か体調が優れない理由に「手の指がこわばり」というのがありました。あと、身体がぎくしゃくして柔軟性がなく、それがなんとなくしんどいんわけです。この症状を改善するために3月はトレーナーについてストレッチをしたりしたんですが、まったく効果なく逆に身体のますますぎくしゃくするようになっているという説明を先生にはしているわけです。この身体のこわばりとダルさは5年ほど前に一時期もあり、その時はリュウマチも疑い検査をしたんですが、特に問題なく、パソコンとスマホをやりすぎると疲労がたまってこんなことになるのかなあ、自律神経がおかしいのかなあくらいに思っていました。肝臓の数値が悪いことで、かかりつけの医者がまず疑ったのは「膠原病」でした。膠原病、いまこの瞬間もこの病気で苦しまれている方が多数いらっしゃると思いますが、膠原病そのものは病名というよりも自己免疫疾患の難病全体を示すような病態で、難治性の症状も多く、病気との付き合いに相当苦労するような病気です。そこで、ぼくはかかりつけの医者に駒沢公園横にある東京医療センターへの紹介状を書いてもらい、まずは膠原病の詳しい検査を受けることにしました。4月の中旬、新緑がまぶしい春の日差しがいっぱいの中、重くてだるい身体をひきずってやっとのおもいでタクシーで東京医療センターまでたどり着き検査や診察を待っていたんですが、その時すでに椅子に座っていることが辛くてできず、長椅子に横になるような状態でした。春先ですから気温もさほど高くなく病院内はまだ暖房が入ったりしているんですが、とにかく寒くて仕方がなくて、体調がどんどん悪くなっているような気がして、すごく恐ろしい気持ちに取り囲まれ始めていました。検査の結果は、幸いにも膠原病ではなさそうだというものでした。内臓の検査も血液、エコーなどで見る限り、特に腫瘍とか肝炎とか緊急性の高い病巣はないという結論でした。内科の医者は、しばらく休めば数値は改善するんじゃないかというような見立てでした。結果を聞いて安心すると同時に「じゃあこの具合悪さはなんなんだああ」という不安がめりめりと頭をもたげてきました。そしてその晩あたりから次第に夜もよく眠れなくなります。眠りに落ちそうになると身体全体がこわばり、そう、疲れて足がつるような状態になり、痛くて目が覚めてしまうのです。こうなると夜が怖いです。夜も眠れないばかりか、次第に昼寝もできないようになってきます。寝ることが怖いというのは恐ろしいもので、このままじゃ死ぬんじゃないかという恐怖すら頭をもたげてきます。こんな中で、ネットを検索しながら自分の症状と同じ病気を調べていくと、これは筋肉の病気ではないかというように思うようになりました。筋ジストロフィーとかで知られるミオパチーではないかと疑い始めたわけです。不幸中の幸いで友人に筋肉系の難病と戦っている男がいまして、その友人に電話をして状況を説明し、脳神経内科の先生を紹介をしてもらうことにしました。国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター (NCNP)のO先生です。自宅から車で2時間近くかかる場所にあるんですが、ここは藁をもすがるつもりでタクシーに乗り込み、紹介してもらったO先生のところをたずねます。待合室で寒さと痛さとだるさに耐えながら長椅子に横たわってまっていると、O先生のもとには、筋肉の難病の患者さんが次々に訪れます。そういう人々を見ながら「ああ俺もこういう病気なのかもしれないなあ」と考えると絶望感に打ちのめされるのですが、具合悪さがそうした感情より勝っているので、なんとかこの苦痛を止めてくれ、そのあとのことはそのあとで考えようというくらいつらい時間をすごすわけです。血液検査をしたり、肺活量の検査をしたり、やっと診察の時間になります。O先生の見立てでは、症状は確かに近いものあるけど、筋肉系の病気にも思えないという感じでした。うーん。これは単に疲労から肝臓が疲れて、身体全体が調子悪くなっているのかなあ、と都合よく考えて帰宅するのですが、その日からも体調は下り坂を転がるように悪くなります。そして目の前にはゴールデンウィークが迫ってくるわけです。気温が上がり頬にあたる風がやさしくなればなるほど、ぼくの皮膚の裏側は苦痛を蓄積していくような感じでした。そこでゴールデンウィーク直前に一縷の望みをかけて、もういちど精神・神経医療研究センターのO先生を訪ねます。もし数値が改善傾向なら、辛さも我慢すればいつの日か元にもどるわけですから。そうした淡い期待をもって血液検査をします。しかし、結果はよくなるどころか、さらに悪化しているわけです。かれこれ20日間くらい苦しんでいます。これは間違いなく原因不明の難病です。とにかく先生ともっと話したい、何んでもいいから原因の糸口をつかみたい。O先生も翌日からゴールデンウィークで病院が機能しなくなるので、ネットを使っていろいろ一緒に調べてくれます。病院の診察時間はもうとっくに過ぎているというのにです。そんなとき、ぼくがぽろっと言います。「先生、私、下垂体腺腫があるんですよ」先生の目の色が変わります。「うーん、何でもっとはやく言わないの」「それが原因かもしれないよ」と。ということで、下垂体腺腫と肝臓の数値についての他の医療機関のデータとかをネットで調べてくれたりするのです。下垂体腺腫とは、脳の中心付近にある下垂体という部位に良性の腫瘍ができる病気で、まあ、わかりやすく言ちゃえば脳腫瘍の一種なんですが、この下垂体というほんとに小さな小さな「のどチンコ」(失礼w)のようなものが、身体中のホルモンをコントロールするという極めて重要な仕事をしていて、車で例えるならオイル系統の司令塔のようなもので、ここの調整がうまくいかないと、いずれ部品がぶつかり合い、摩耗して動かなくなってしまうような。そんな機能をつかさどっているわけです。下垂体は下垂体そのものが個体として仕事をしているわけではなく、下垂体にある細胞が個々にそれぞれの細胞が持つ固有の能力を発揮しているという複雑さで、その腫瘍のできる部位によって、それぞれ症状が違うわけです。って意味わかりますか?w。例えば成長ホルモンをつかさどる細胞部分が腫瘍とともに肥大すると、成長ホルモンの分泌が多すぎて、手や足が巨大になってしまう。末端肥大がおきたりす???わけです。ジャイアント馬場さんはこの病気だったといわれています。逆に腫瘍に圧迫されて思うように成長ホルモンが出なければ、身体が小さく成長できなくなります。男性ホルモンの細胞がやられていれば、当然男性機能がダメになるというような具合です。この下垂体腺腫は、この「2016年ぼくの病気」事件から、さらにさかのぼること1年2か月前、2015年2月に偶然発見されました。土曜日の朝、ソファーで新聞を読んでいると突然ぐるぐると目の前が回り始めて、横になって目を閉じてもぐるぐるが止まらず、これはおかしいということで近所の脳神経外科を訪ねたわけです。MRI撮影をして、診察室に入ると「柳澤さん、めまいは耳からきているから大したことないけど、目の調子おかしくない?上の方が見づらいとか?」と先生が言います。「はあ?特に」「あなた、脳のここんとこに腫瘍ができているのよ」といってMRIの画像を先生がさします。「がーん、脳腫瘍かあ」。ぼくらの世代といえば「脳腫瘍=死」これは赤い糸シリーズで築き上げられたステレオタイプなわけです。「・・・・・・」とぼくが動揺していると、先生が「まあ、ここはまずほとんど良性だから、死ぬことないから心配しなくていいよ。ただ、あなたの腫瘍はかなり大きくて視神経にくついているから、視覚障害がおきていても不思議はないんだよな」「最近、脳ドックで発見される人多いんだよね」とか言われたわけです。心配するなと言われても心配しますよ、なんてったって山口百恵世代なんですからw そこでこの脳神経外科の先生から下垂体腺腫では日本で一番症例を持っているという虎ノ門病院の間脳下垂体科に紹介状を書いてもらいすぐに診察に行きました。またMRI撮影をし、ホルモンなどの検査をしました。虎ノ門病院の先生の所見はこういうものでした。下垂体に17ミリほどの腫瘍があり、視神経に接触しそう、もしくはしている。ホルモン検査の結果は、成長ホルモンが通常の3割ほどしか出ていない。しかし、他のホルモンは正常値にあると思われる。ぼくの???択肢は2つありました。1.思い切ってこの腫瘍を外科手術でとってしまう。 2.目に不調が出るとか、体調不良がない限り経過観察1を選ぶこともできますが、手術は手術そのもののリスクがありますし、手術で腫瘍を切除したことで、現在特に問題がない状態を逆に悪くしていまうリスクもあるわけですし、そもそも腫瘍がどんなスピードで成長してきたのかわからないわけですから、これ以上大きくならないかもしれないし、逆に小さくなる可能性だってゼロじゃないのでぼくは迷わず経過観察を選びました。問題がない限り半年から1年に1回MRIで撮影をし腫瘍のサイズを確認し、成長ホルモンの数値をチェックするという道を選んだのでした。ということで再び話を2016年4月28日に戻します。うーん長いw。精神・神経医療研究センターのO先生は、この下垂体腺腫が肝臓の数値を悪化させている可能性があるというのです。しかし、ここまでぼくがなぜ下垂体腺腫を原因として疑わなかったかというには理由があります。というのも下垂体腺腫が発見されてから8か月後くらいに、再びめまいがまたしたことがあり、同じ近所の脳神経外科を訪ねてMRI撮影をしたのですが、そのときの所見では腫瘍はまったく大きくなっていなかったわけです。そのとき「これ以上、腫瘍は大きくならないかもしれない。ラッキー!」と思ったわけです。それにぼくの腫瘍は視神経に接触するようなサイズです、仮に腫瘍が大きくなればまず目に症状がでるはずだと思い込んでいました。つまり肝臓の数値が悪化したこと=具合悪いこと=下垂体腺腫が悪さをしているという発想には、目に症状が出ていないためまったく至らなかったのです。後から考えてみれば、下垂体はホルモンをコントロールしているわけですからホルモン調整がおかしくなれば身体がおかしくなるって当たり前のことなんですが、目がおかしくなる方が先だという先入感から下垂体との関係を疑うことをやめてしまっていたんですね。それにこの話は東京医療センターの膠原病科の先生には説明していたんですが、その関連性について特に言及されなかったので、すっかり下垂体は今回の病気の蚊帳の外においてしまったたわけです。今から考えると馬鹿な話ですが病気の時とはこんなものかもしれませんね。というわけで下垂体腺腫が原因かもしれないと確信したのが4月28日の夜なんですが、翌日からGWが始まってしまいます。しかも翌29日はとにか今までにないくらい具合が悪くなり、すでにじっとしていられないような状態に陥ります。そこでタクシーで虎ノ門病院の救急に行くのですが、血液を採取して、問診しただけで、急患担当の医者は「今日は我々では何もできません」の一点張りです。「GW明けにもう一度来てください」なんて悠長なことを言われるんですが、こっちはとにかく苦しいわけですから、「何とかこの苦しみに効く薬とか何か打ってください!」という感じなんですが、この人たちは役に立たないということ絶望のまま帰宅します。家で苦しさのためのたうち回りながら、そうだ最初に下垂体腺腫を見つけてくれた近所の病院に行ってみよう思いつきます。(もっと早く思いつけよですけどねwそれが病気です)タクシーでやっとのおもいで病院にたどり着いて、最後の力を振り絞ってMRIに入り、診察を受けると、先生は「ああ、腫瘍が一回り大きくなってるね。これが辛さの原因だと思うよ」って軽くおっしゃるわけです。「ホルモン異常だよ。これは。よく今まで我慢してたね。これ辛いんだよなあ」って。「つらいです」早く教えてくださいよw先生ー!先生のところにまず来ればよかったwと後の祭りですね。そして「とりあえず入院してください。GW明けに虎ノ門に転院すればいいから」ということになりました。近所の脳神経外科に入院してまずはステロイド(副腎皮質ホルモン)の点滴してもらったら、やっと身体の痛みがとれて楽になって一息ついたんですが、MRIの画像にはもう一つの懸念があって、それは抗利尿ホルモンにも異常があるんじゃないかという点でした。おしっこの回数なんかを管理しているホルモンなんですが、これも下垂体にあるんですよね。ここがダメージを受けていると尿崩症といっておしっこダダ漏れで脱水症状になる危険もあるということで、その日から尿量を図るようになりました。トイレに行くたびにしびんにおしっこして、軽量瓶に入れるわけです。これが案外精神的にも大変で、脱水症になるといけないからたくさん水分をとると、尿が余計にでるということの繰り返しで。まあ、とにかく点滴と薬でなんとかGWを乗り切ることができたわけです。治療機能が低下する連休というのは病人にとっては本当に大変です。GWが終わると、さっそく虎の病院に行って、入院の手続きです。入院先は内分泌代謝科です。ここでどんなホルモン異常が発生しているのかを正確に把握して、その後の対処を決めるということになります。検査の結果は副腎皮質刺激ホルモンがほとんど出ていないとか甲状腺刺激ホルモンが半分くらいになっているとか、成長ホルモン、男性ホルモンもかなり数値が下がっているとか散散の結果でした。特に副腎皮質刺激ホルモンは副腎ホルモンをコントロールしていて、この機能を失うとショック状態に耐性がなくなり、場合によっては死に至るという恐ろしい状況です。尿崩症の可能性もあるので相変わらず尿の量も図り続けます。ということでついた病名が「下垂体前葉機能低下症」です。この病気は特定医療費の支給が受けられる難病指定を受けていて、要はこの病気になる人はあまりいないということです。下垂体外科の先生たちも下垂体の上部にある視神経を圧迫することで問題が発覚するケースは多いが、前葉の機能が低下することは少ないし、あなたの画像から機能が低下しているようには見えないというお話しをされていて、とはいえ、実際ホルモン分泌の数値が悪いわけですから10万人に何人という難病なわけです。 ここで私にはまた選択肢が発生します。1.薬を服用しながら下垂体腺腫としばらく付き合う。 2.手術で切除する。これだけ具合悪くなったわけですから1の選択肢はないような気もするんですが、この病気はしっかりと薬があるんですよね。副腎皮質ホルモンはステロイドという有名な薬で補えますし、甲状腺ホルモンも良い薬があります。つまり薬を飲んで生活するということも十分考えられるわけです。実際、副腎機能不全や甲状腺の機能を失ってしまっている方も、この薬でほぼ支障なく日常生活を営んでおられる多数おられます。しかも、仮に手術をした場合も、必ず機能が回復するいうことではなく、機能が戻らないケースも多いわけです。つまり下垂体の細胞が腫瘍に押しつぶされてすでに死んでしまっている細胞は回復しようがないということもありうるわけです。でも、ぼくとしてはあの苦しさを体験しているわけで。できることならもう腫瘍と生活を共にするのは御免だという気持ちに当然なっています。それにわずは数か月の間に腫瘍が大きくなったわけですから、放置するとまたいつ腫瘍が大きくなって、いまはまだ無事な機能すら奪われる可能性も否定できないわけです。「1日でも早く手術で切除してください!」というのがぼくの最終結論です。ところがです。虎ノ門病院の脳間下垂体外科は全国でも1,2を争う下垂体腺腫の手術を抱えている機関なわけですから、手術のスケジュールはすでにびっちり埋まっているわけです。順番待ちなんですよね。いつ手術してもらえるかわからないわけです。そこでぼくは「急激に症状が悪化したということは、腫瘍が急激に成長しているということなので、1日も早く切除しないとど???どん悪くなる緊急性があるはず」というロジックで、内分泌科の先生方にとにかく外科の先生に1日でも早い手術をお願いしてもらうという作戦で、とにかくお願いしましたwそのがんばりあってか、運が良かったのか、入院から2週間後の5月23日に手術ということなりました。 下垂体腺腫の手術というのは、昔は開頭手術が一般的だったようですが、ここ数十年は鼻の穴から内視鏡を入れて切除するという方法が中心になっているようです。もちろん部位や状況によっていろいろなアプローチがあるわけですが、ぼくの場合はこの鼻孔からの手術が選択されました。といっても、鼻の中を切り開き下垂体につながる間にある頭の骨を砕き、その先の下垂体にある腫瘍を切除するわけですから大変な手術です。下垂体の周辺には大きな動脈や視神経があるわけですから間違ってそこを傷つけてしまうと大変なことになります。それからこれはよくあるケースなのですが、視神経や血管を傷つけないために腫瘍を取り残すしてしまうと、再びその腫瘍が成長をはじめ何度も手術をしなければいけくなるというケースもあります。余談ですが、先日のドクターXでまったく同じアプローチで手術しているシーンがあって「ああこれは神の手が必要な手術なんだよね」とあらためて思いました。(うー。ちょっとこのコラム長すぎますね。かれこれ2時間くらい入力してます。クラウドソーシングなら相当稼げてるんじゃないでしょうかw)虎ノ門病院に入院中にある別の事件が起きます。それが名付けて「トラトラ事件」です。自宅の隣の家との境の部分に野良猫が子猫を産み落としたのです。なんとその数5匹。しかも5匹ともキジ「トラ」、ぼくがトラの門病院に入院している最中にトラ猫が突然現れたのです。なんだか不思議な話ですよね。まずは母親を確保して去勢をしようという獣医さんのアドバイスで家族がトラップを仕掛けたんですが、残念ながら、子猫がかかってしまい、警戒した母親が子供たちを連れて行ってしまい、結局2匹しか確保できませんでした。もし、ぼくが入院中じゃなければ5匹確保できたのにと悔やまれる出来事でしたが、その2匹はいまも我が家で元気に暮らしています。 <トラトラ事件の子猫たち>手術の前は、とにかくいろいろ検査したり、いざという時の輸血用の血液を自採血したり、リスクを免責する様々な書類にサインしたりと、病人なんですが、具合が悪くなるようなことを次々にこなさなければなりません。けれど、ぼくが入院していた内分泌科では、ぼくよりはるかに重い症状の患者さんがたくさん入院していて、そういう人たち比べれば、手術をすれば治る可能性がある病気なのだからと、前向きに考えられるほどには精神状態は安定していました。病院では検査以外はとくにやることないですから、昼間はTVを見たりして気を紛らわすわけです。ちょうどそのとき舛添知事問題で大騒ぎしてましたから、ちょっとした舛添さんのことなら何でも僕に聞いてください詳しいよ状態になっていましたwまあ、そんな感じで手術当日を迎えるわけですが、全身麻酔で手術を受けるなんてのは初めての体験で、もちろん、緊張感あるんですが、印象はTVドラマで見る感じそのもので、室内はとても寒くて、ただ手術台には暖房が入っていて、背中からあたたくて、そのまま麻酔ですーと寝りに落ちます。手術時間は3時間半くらいでしょうか。といっても、本人は寝ているのですからまったく記憶がありません。意識がしっかりするのは、そのあとICUに運ばれてからです。何か緊急事態がないとも限らないのでICUで過ごすわけですが、意識がはっきりすると、とにかく息苦しい。鼻に詰め物がされているわけです。看護師さんが口で呼吸してくださいというのだけれど、口だけで呼吸しようと意識すればするほど苦しい。そう、水泳していて溺れそうになるような苦しさなんですよね。 ぼくはジョギングが生活の一部になってしているし、マラソンなんかも出たことあるんで、どちらかというと鼻呼吸を意識して口で呼吸をしないように生きてきたような男なので、口だけで息をしろと言われると余計に苦しいわけです。麻酔が切れてくると鼻から頭のあたりがじわじわと痛くなってくるし、鼻から血が出てきそうになるので、ときどき看護師さんに鼻につけた脱脂綿変えてもらうんですけどね。最初担当してくれた太っちょの看護師さんはすごく優し人で天使のように思いましたが、深夜に担当した看護師さんはなんか冷たい感じで、ああ、ぼくはやっぱり太った人がすきだなあとか思ったりしたものです。ICUはいろんな機材をつけた緊急性の高い患者さんばかりいるわけですから、一晩中騒がしくほとんど眠れないまま過ごしました。 <ぼくの下垂体腺腫:上部が術前、下部が術後のMRI画像、腫瘍がきれいなくなった>翌朝には車椅子に乗せられて自分の病室に戻ることができました。相変わらずの口呼吸ですが、手術が無事終わったという安心感で、ちゃんと生きていることを実感しながら、ただただこの鼻の痛みと息苦しさが去ってくれるのをベッドで身体を丸めながら待ちました。術後3日目くらいに突然執刀医の先生が病室来られて、調子はどう?と聞くなりに鼻の詰め物を一気にピンセットで抜いていきました。この詰め物がいつとられるのか、きっと痛いだろうなとか想像していたので、あまりにもあっけなくてびっくりしました。詰め物を取ってもまだまだ鼻は詰まっているんですが、それからは鼻洗浄液でただただ毎日、鼻の中を何回も洗いました。次第に膿が取れて空気が通るようになってきて。少しずつですが、それはうれしいですね。一方で相変わらず尿の量を計測し続けるていたんですが、やっぱり量が多くて、刺激を与えるので術後一時的に量が増えるという説明は受けているんですが、やっぱり尿崩症になっちゃうとこれはまた抗利尿ホルモンの薬を飲まなきゃいけないのでいろいろと面倒な心配も残っていたわけです。...

あれから1年半、???本のネット企業はどうなったのか?

over 8 years ago

少し体調を崩していました。お久しぶりです。体調を崩した時の話は別の機会にまとめたいと思っていますが、久しぶりにネット企業のことを少し書いてみました。ネット系上場企業のランキングです。前回から既に1年半近く書いていないんですね。時のたつのははやいものです。この1年半に何があったのか?まずは2016年10月21日の株価終値による時価総額ランキングをみてください。 単位は億円。2016年10月21日と2015年4月24日の終値から算出。億以下は切り捨て。赤字は1年半前から伸びている時価総額。今回のランキングからリクルートを入れてみました。いまやほとんどのサービスが紙媒体じゃなくてネットでしょうからね。日本最大のメディア企業と言ってもいいと思います。Lineもついに上場しました。おめでとうございます。全体の話をしますと、しょっぱい局面です。というのもネット産業全体に大きな追い風となったスマホ旋風がこの1年〜2年で失速しているため、時価総額を落としている企業も多いからです。リクルートの2兆3千億円、Lineの1兆円を加えて、ようやく前???測定の2015年4月の総時価総額を上回ることができたというような状況です。個別にみてきますと、医療情報サービスのエムスリーがついに1兆円企業の仲間入りしました。おめでとうございます。思えばこの企業数百億円しか時価総額がないときにぼくは投資していました。あのまま売らないでいればよかったと後悔しきりですが、まあ人生とはそんなものでありますw次に気になるのが、スタートトウディの躍進です。みなさんご存じのZOZOTOWN運営企業です。スマホの普及でぐっと売り上げを伸ばしてきました。国内のECとしては別格。まさにモバイルの勝組ですね。前回までは上位に陣取っていたスマホ関連ゲーム会社もスマホ需要の一段落で、向かい風の中にあるようです。そんな中でDeNAは数字を伸ばしています。これは任天堂との提携によるところが大きいようです。さすがの筒香ですw中堅どころで目を引くのがディップとエン・ジャパンの急伸です。ここ数年、労働市場はタイトなわけですが求人転職メディアを運営する両者は業績を大きく伸ばし、株価を伸ばしてきています。同じく不動産市場の活況を追い風にネクストも数字を伸ばしていますね。アベノミクス銘柄と言ってもいいかもしれません。一方、アベノミクスの失速でオンライン証券会社が軒並み時価総額を落としています。厳しいですね。おやおや、ちょっと変な現象が起きています。親会社のGMOインターネットの時価総額を子会社のGMOペイメントゲートウェイが抜いちゃっていますね。本来親会社の価値が大きくないとおかしいですが、株式市場とはこういうものですw親会社が過小評価されているか???決済とかフィンテックとかテクマクマヤコンとかいろいろな原因がそうさせているのか?ネット広告系では、セプテーニ、DAコンソーシアムが数字を伸ばしていますがフェィスブック広告などのソーシャル系広告の取り扱い拡大が追い風の要因のようです。 最後に、33位のファンコミュニケーションズにブルーの網掛けがされていますが、これは何を意味するのでしょうか。不思議です。同社は成功報酬型のアドネットワークを運用している企業のようですが、良い会社のようです。よろしくお願いします。と、ざっと1年半の流れを振り返ってみましたが、日本のネット企業、50社合わせて時価総額の合計が15兆円。フェィスブック38兆円、アマゾンの39兆円の半分にもなりません。ネット産業はこれから経済の要にならなければいけない分野です。各社一層の奮起が必要だということだ思います。あらためて、がんばれー!日本のネット企業ということですね。ただ、みなさまにお伝えしたいのは、こういうコラムを書くと、なんだ日本のネット企業しょぼいなとか、ネット産業ももう成長が終わりかとか想像してしまう人がいるかもしてませんが、それは誤解です。米国でもまだEC化率10%程度、日本に至ってはまだ6%程度、地上波とネット動画の垣根がようやく取り払われ、これからユニクロやセブンなどの小売業も本格的にネットに参入し、まさに20年後、30年後は今とはまったく想像できないネット社会が誕生していることでしょう。勝負はこれからです。最後に、17年前にぼくが会社を立ち上げて資金集めをしていたときに、とあるベンチャーキャピタルの方がぼくへの投資を断り、帰り際に言い放った言葉をみなさんに贈りたいと思います。彼はこう言いました。「日本にほんとにECなんて流行ると思っているの?(大丈夫?)」この方、1999年に本気で国土が狭い日本ではネット通販など普及しないと考えていたわけですけど、そう思っていた人も当時多かったと思います。ところがECはいまや生活になくてはならいものになりつつあります。常に未来の現実は今の想像を超えるのです。と、ぼくを含め読者のみなさんへの戒めの言葉で閉めたいとおもいますw@ankeiy

愛、それは渋谷一丁目一番地。

over 9 years ago

ぼくが代表を務める会社、ファンコミュニケーションズの本店所在地は渋谷区渋谷1丁目1番地8号。「1丁目1番地」とは今も昔も物語の原点。そう、まさにここが渋谷の中心地であります。10年ほど前、ぼくは知り合いに紹介してもらった風水師にオフィスを見てもらったことがあります。社長の席はどこにしなさいとか、グリーンをどこに置きなさいとか、黄色い置物を買いなさいとか、いろいろアドバイスしていただいたんですが、そんな話、ほとんどうわの空で聞いていました。けれども、その風水師が怪しげな日本語で放った次の言葉にぼくは惹きつけられました。風水師「これからは風水的に8の時代です。」ぼく「まっ、まじですか!!」何の文脈から数字の話になったのかよく憶えていませんが、この一言は鮮烈でした。何せ我々が展開しているサービスはA8ネット。「8」がつくじゃないですか!!!さらにオフィスの住所も8号じゃないですか!!「やったー!、勝ったぞー!」(何がw)それからです。ぼくが「8」にこだわりだしたのは。パチンコではあえて確変の7を狙わず8を狙い、桃栗3年柿8年の柿を好んで食べ、七草には1品加えて8草にし、北に七五三の家族がいれば8年目のお参りも勧め、ビリヤードではエイトボールをポケットに入れることだけにすべてをかける。そう、まさに「8」を中心に生きてきたのです。そしてぼくは今、当社のオフィスがある渋谷1丁目1番地8号にある青山ダイヤモンドビルの8Fで犬と一緒に仕事をしているわけです。そうそう。数字の話と言えば、当社の証券コードは「2461」です。ここには???がありません。少しがっかりしましたが、よく考えると246で1、246号線で1番。おおおっ!そう、私たちのオフィスは国道246号線沿いにあるのです。俗称、青山通り。なんと覚えやすい数字でしょうか。投資家の皆さんも決して忘れることはないでしょうwそれと同時に「これはとんでもない数字をもらってしまった」と思いました。国道246号線沿いで1番にならなければならない運命の企業になってしまったのです。初めはこのプレッシャーで夜も眠れない日が続きました。「俺たちは何で1番になればいいのか?」自問自答が続きます。売上か?利益か?社員数か?オフィスにいる犬の頭数か?本当に悩みました。そしてこの苦しみから抜け出すために、とりあえずいつものようにいい加減に決めましたw「そうだネット企業と言われる分野で1番と呼ばれる会社なろう」と。すると、もう一人の自分が言いました。「おいおい、IT企業というと246号沿いにはあのお世話になっているGMOグループがあるぞ。」 「熊谷社長ごめんなさい」(何がw)おっと、話がずれました。今回はそんな話をするためにブログを書いているわけではありません。 愛です。渋谷区渋谷1丁目1番地に対する果てしなく、そして深い私たちの愛の話です。私たちはこの地をこよなく愛してます。まずはこの愛が溢れる写真を見てください。 私たちはこの地を愛するあまり、2004年に4Fワンフロアを借りたその日から「渋谷1丁目1番地物語」を紡ぎはじめ、今やオフィスのオーナーが所有する9F、店舗が入る1Fと地下を除いて、ほとどんのフロアを事務所に使っています。そしてこの愛は今や頂点に達し、そろそろ5Fを借りている会社にも届いて「ファンコミさんがそんなにこの場所を愛しているのなら私たちは引っ越しますからこのフロアもぜひ使ってください」と言っていただける日が来るような気がしてなりません。ちなみに先日、総務の人間が5Fを訪ね「あのー、」といった瞬間に、「私たちに移転の予定はありません」ときっぱりと断られてきました。 まだ愛が伝わっていない・・・・。それでも私たちの渋谷1丁目1番地に対する愛はさらに日に日に大きくなるばかりです。そんでもってそんな思いを、ぼくと副社長で組む音楽ユニット「ファンクスブラザーズ」で曲にのせたのでした。今回はその紹介でブログを書いているのです。ぼくらの渋谷1丁目1番地に対する???を70年代の形で表現してしみました。そう、もう一言付け加えるならぼくらの青山通りに対する思いは70年代からなんら変わっいないのです。曲名はズバリ「ようこそ、渋谷一丁目一番地」です。ちなみにこの曲はファンクスブラザーズの2曲目です。1曲目をまだ聞いていない方はそちらも聞いてみなければなりません。こちらはネット広告会社の「広告トラッキングの悲哀と革新」を唄った「Tracking Sensation」です。2曲聞いていただければ、ぼくらの音楽に対する一貫したコンセプトを理解していただけるはずです。それでは今年もあととわずか。風邪など召さぬよう皆様には素晴らしいキューティクルが輝く山下達郎が奏でるクリスマスが訪れますようお祈り申し上げます。@ankeiy

ナスダック高値更新記念!いま日本のネット企業で何が起こっているのか。

about 10 years ago

ついに米ナスダック市場の指数が高値超えましたね。前回の最高値が2000年3月ですから、15年ぶりの出来事ですね。思えばこの15年間、ITバブルの崩壊、911テロ、リーマンショックと数々の困難を乗り越えてのようやくの高値です。感慨深いですね。個人的にも15年前は、2歳の子供を膝に抱えて早朝、ナスダックに上場する企業の株価をチェックしていたんですけど、その子がもう高校3年生になるんですよ。時の流れとは速いものです。日経新聞に高値更新に関する記事が出ていたんですけど、ナスダックもこの15年でいろいろあったようです。まず、上場企業数が4800社から約半数になっているそうです。ナスダックといえばITやバイオなどの新興企業が多いですから、出入りが多いのは仕方ないと思いますが、数がそんなに減っていたとは驚きです。多くの新興企業が退場を余儀なくされ、また上場のハードルが上がっている(あるいは上場する前に企業売却する動きが広がっている)ということがいえると思います。ツイッターやアリババのようなIT企業がNYSEに取られてしまうなんていう市場間の競争も激しくなっているのでしょう。ナスダック高値更新をけん引する銘柄もずいぶん変わりました。昔はマイクロソフトとかオラクルとかのソフトウェア開発企業が中心だったんですけど、今はグーグル、アマゾン、フェイスブックなどのネット企業が中心です。しかも、それもそれぞれの企業が時価総額数十兆円というとんでもない規模の企業になっています。さて、これから高値を突破したナスダックはどうなるのでしょうか?米国の金融引き締めやギリシャ破たん懸念などに左右されることは間違いありませんが、高値達成感でいっぷくなんてこともあるかもしれません。いま、第一四半期の決算の真っただ中なので、個別の銘柄の状況にも触れておくと、フェイスブックもグーグルもすごく数字はいいんですが、利益の伸び率がちょっと落ちているんですよね。これはモバイル化や動画化で広告のクリック単価が下がっているということもあるんですが、開発や買収競争が激化していてコストの上昇も激しいんですよね。広告中心にビジネスが成り立っている企業はレッドオーシャンで戦うという宿命をもっているので仕方ないんですけどね。一方相変わらず赤字継続中のアマゾンですけど、こちらは再評価されているようです。赤字なのに再評価って変な話なんですが、急成長しているクラウドサービスの利益に言及したら???いんですけどこれが思った以上に利益率が高かったということが好感されているようです。世の中わからないもんですね。こんな流れが指数に影響を及ぼしていくことでしょう。さてさて米国の話はこの辺にしておいて、日本のネット企業について少し書きましょう。まずは以下の表をみてください。私がやっているネット企業時価総額上位50社の定点観測です。前回が昨年の10月17日の終値ベースですから、今回4月24日の終値はちょうど半年後の動向ということになります。 *時価総額は2015年4月24日の終値でYahoo!ファイナンスより引用しています。*単位は億円です。千万以下は切り捨て。*プロバイダー専業を除くキャリア、ソフトウェア開発(セキュリティ・会計など)やSI中心の企業は 除いています。*基本サービスや販売ルートがネット中心の会社をセレクトしています。*この他にも知らないすごい会社があるかもしれませんがご容赦ください。*リクルート、トランスコスモスなど微妙な会社は除いています。あと任天堂、スクウェアなども。 まず全体の動きですが、50社全体の時価総額総計が半年で約44%上昇しています。すごいですね。でもこれはアベノミクスの恩恵も大きいと思います。日経平均もこの間大きく上がっていますので、ネット企業のセクターだけが高いパフォーマンスだったととは言えないですね。それではもう少し個別に見ていきましょう。まず、???の半年間の出来事としては楽天がヤフーの時価総額を抜くなんていう局面がありました。今回の数字では残念ながら楽天は2位ですが、この半年間の株価上昇が光りますね。国内事業の業績が順調ということもありますが、いままで海外に積極的に投資している分が今後回収に向かうのではないかという期待が大きいようです。エムスリー、カカクコム、スタートトウディなどの企業も順調な業績から株価を伸ばしました。Monotaroも大きく値を飛ばしています。ゲーム関係はまちまちですかね。その中でネクソンは躍進していますね。あと、サイバーエージェント。こちらはゲーム、広告、投資とまんべんなく業績を伸ばし、高い評価を受けていますね。DeNAが大きく伸びたのはご存じ任天堂との提携ですかね。Aiming、Gumiという直近IPO組もランクインしています。その他、ネット企業の老舗、GMOグループの株価が大きく見直されていますね。GMOクリックホールディングスも初登場しています。業界的に元気なのは、ぐるなび、一休などでしょうか。こちらは本年1800万人に到達するのではないかという旅行客のインバウンド消費期待でしょうか。逆に元気がないのがネット広告業界ですかね。サイバーエージェントをのぞいては軒並みダウン、ランク外にはずれてしまった企業も数社ありました。これはスマホ普及が一巡してしまったなどの理由で市長の成長期待がしぼんでしまっているのでしょうか。まだネット広告1兆円市場になったばかりじゃないですかwあれあれ、また27位にあるファンコミュニケーションズという会社に青い網掛けがされていますね。不思議ですね。これは何でしょう?ブログ書いていると、この会社にはなんか頑張ってもらいたいと思ってしまうんですよね。謎ですね。そんな思いが網掛けに化けるのでしょうかwさてさて、ざっと書いてきましたが、時価総額、株価というのは企業の業績+その企業の持つ将来への期待で決まります。業績がいいからと言って必ずしも株価は上がるものではなく、大きな夢ばかり語っても業績が追いついてこなければ必ず市場から見放されてしまいます。投資をする際はとにかくまずは自己責任をしっかり確立して、投資先の企業を良く調べ、業界を調べ、過去の株価を調べ、市場の将来性を調べ、調べ調べすることをお勧めします。短期でちょこっと儲けようという人はちょこっとだけリスクも高いので十分お気を付けください。このブログも一切投資を勧誘するものではございませんのでご自分の頭で考えて日本の未来を買ってくださいね。先週末現在時価総額1兆円を超えている国内企業は131社、その中でネット企業はまだたった2社です。ネット経済の大きさを考えればまだまだその可能性は大きいはずです。しっかりと足を固めつつ、日本のネット企業にはこれからも頑張ってもらいたいと思います。現場からは以上です。@ankeiy